『さよなら、ベイビー』里美蘭 / 人生が子ども自身のものならば、私は何を遺すだろう。
物語は、読むその時々に心に響く場所が違うから不思議なものだ。
七年ぶりに開いた本著は、人間関係が隠されたまま複雑に絡み合うミステリー。最後まで「誰が誰なの!」と脳内大混乱のまま読み終えて、奇妙な気分になった。
七年前、この小説を読みながらほたほたと泣いた夏は、私にとってはもう遠い過去のものになったのだ、と。
親なんていつか死んでしまうんだ。勝手に、何の断りもなく。
物語は、少年が逃げ出すシーンから始まる。
死の淵にある母親から。自分自身の命から。けれど彼は自分の命からは逃げ出すことが出来ず、現実に残される。
生きながらえてしまった彼が「ひきこもり」となって4年後、今度は父親を喪ったところから、物語が動き出す。誰の子ともわからない、一人の赤ん坊を相棒にして。
* *
主人公の少年に限らず、現実って逃げ出したい事ばかりだと思う時期を、誰しも一度や二度は経験しているのではないか。
けれど、自分の不幸に酔いしれ続ける事を、現実は許してくれない。大人になればなるほど。
「なぜこんなことをしたの」若い男性医師は、交番の警官が酔っぱらいを相手にするような口調で僕に言った。
わかりきった事を。僕は思った。こんなことのすべてに耐えられないからだ。
そうだよ。こんな事のすべてに耐えられないんだよ。
そう言いたい気持ちが胸の奥に沢山渦巻いていた頃だった。だから最初は少年に感情移入しつつ物語を読んでいたのだ。
けれど、物語が進むにつれ、死んでしまった彼の母親の視点から物語を追っていた。
* * *
当時の私は、一つ大きな気がかりを抱えていた。
健康診断で見つかったしこりが悪性らしいと分かり、再検査のそのまた再検査を受けて結果待ちの最中だったのだ。
時間が空くたびに検索するがん患者のブログに、今までおぼろにしか浮かばなかった「死」をリアルなものとして毎日突き付けられていた。
私は幼い子を残して死ぬのだろうか。
私が死んだら、娘は高齢な祖父母しか身内がいない。もし彼らも死んでしまったら、保護施設に行くしかない。そうなった時、彼女はどんな気持ちで生きていくのだろう。
主人公の少年がぶち当たる苦しみが、自分の娘が経験する未来のようにも思えた。
天涯孤独になった娘に「なぜこんな事をしたの」なんて聞いてくれる他人は希少なはずだ。彼女がこの先出会う多くの人は、「なぜ」かなんて考えようともせず、目に見える言動だけを査定するだろう。
なんて事だ、と思った。
なんて事だ。どんなに私が先回りをして、娘の心を守ろうとしたところで、いつか娘は必ず、自分を傷つけるものと出会うのだ。
それを私に防ぐ術は無い。
子供を永遠に箱庭に閉じ込めてはおけない。どんなに親が願ったとしても。
当時、衝撃のままに綴ったブログが残っていた。
たとえば私が癌で(癌でなくても)死んでしまったとして、
それで娘の人生は終わるわけじゃないんだ。
私が居なくても、娘はたくさんの人とかかわって、
沢山の出来事を経験して、
いろんな事を感じて、生きていくんだ。
私の人生と娘の人生は、全く別のもので、
私の幸せと娘の幸せは、全然関係のないもので、
(中略)
彼女はこれからどんどん成長して、
苦しい事とか悲しい事とか辛い事とか、沢山の事を経験するだろう。
それを私に止める力はないし、
その時感じるであろう気持ちを、奪うことはできないんだ。
私の育児への姿勢が、人生そのものへの姿勢が変わった瞬間だったように思う。
世に溢れる「正しい子育て」の先生たちは言う。
自己肯定感を上げるために、気持ちを否定せずに全部受け止めてあげましょう。怒るのではなく叱りましょう。
私はその言葉を一生懸命なぞりながら、硝子細工を扱うように娘に接していた。私の言葉が娘を傷つけないようにと、必死だった。
けれど、明日私が死んでしまえば、娘は、私とは全く違う考え方の大人に囲まれて生きていかなければならないのだ。
どんなに傷つけられたとしても、自分で傷を癒し、生きていかなければならないのだ。
そもそも。人ってそういうものだ。
沢山の傷を負って、悲しい思いをして、それでも生きているんだ。
娘だけを傷つかないように囲い込んで、一生守ってやることは出来ないんだ。
じゃあ、私が彼女に遺せるものはなんなのだろうか。
この物語に出会って、私は違う視点から娘を見るようになった。
親から受けた教育の意味も、塗り替えられた。
言う事を聞かなければ問答無用で殴る父親だった。父のいう事に盲目的に従う厳格な母親だった。虐められてもお前が悪いと叱られ絶望した。
けれど、彼らが私に与えようとしたこと。
「礼儀正しくルールに従う。努力は怠らず、求められた結果を出す。自分が与えられた役割をきちんと果たす。周りの人の気持ちを優先する」
それらが、一方的な正しさの押し付けではなく、「どうして」なんて聞いてくれない世間の人に可愛がられるために、必要な力を身に着けて欲しいという願いから出たものだったら?
全く意味が変わってくるではないか。
なんて事だ。
当時、何度呟いたことか分からない。
なんて事だ。なんて事に、気付かせてくれたんだ。
思いもよらぬ出会いがある。だから物語を読む事はやめられない。
今読み返しても、もう当時のような衝撃は訪れない。
少年にもさほど感情移入しないし、むしろ、主要人物の一人である民生委員の彼女に感情移入して、逃げ続ける彼の背中を時々蹴飛ばしたくなる。
私、ずいぶん変わったなと、にやりと笑いたくなる。
本との出会いは、不思議な力が働いているとしか思えない事がある。
たまたま時間つぶしに入った書店で、たまたま帯に目を止めて買った文庫本が、私の人生観をぶち壊した。運命論者ではないが、あの出会いは奇跡としか言いようがない。
これだから、物語を読むことはやめられない。書店にふらりと立ち寄る事も、死ぬまでやめられない。家じゅうを本棚だらけにした、父と同じく。
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