私の作るご飯はキャベツ太郎に勝てないけど
キャベツの湯通ししたやつを食べながら泣いた。
ポン酢とごま油をかければ
たいてい何でも美味しいのだけど(鶏ガラ顆粒があればなお)、
その日のキャベツも美味しかった。
長男はご飯を食べない
長男はご飯を食べるのが遅い。
超遅い。
そもそも食に興味があまりなくて、
しょうがなく食べている。
あるとき、絵本で14匹のねずみが出てくるのだけど、
その一家がみんなで「楽しい夕ご飯」というシーンがあった。
当たり前のように読んだ私に長男は
「どうして楽しいの?」と聞いた。
私はショックすぎて言葉が出なかった。
離乳食を開始したその日から、
「食卓は楽しい雰囲気を」
「ごはんはみんなで食べると美味しい」
「食べさせることよりも食事の楽しさを教えて」
という先人たちの言葉に従えば、
よく食べる子になるって信じて突き進んできたのに
全然伝わってなかった。
話しかけたり、歌ったり、時には踊ったり。
たぶん、私が字幕なしのインド映画観るより伝わっていない。
真顔で踊っている人の気持ちはなかなか理解できない。
だから、長男は食事のときテンションが低い。
ごはん粒を人差し指と親指で持って、こねこねしている。
口の上半分に食べ物を詰めて、ぼーっとしている。
いや、ぼーっとしているように見えるけど、
たぶん頭のなかはその時に夢中のテレビや本や遊びのことが
駆け巡っていて、ご飯のことなんてそれこそひと粒も考えていない。
そして、兄になる
そんな長男も3歳半でお兄ちゃんになった。
弟が生まれたのだ。
今、弟は2歳。
ご飯を割とよく食べる。
「ごはんできたよー」と言うと、
何をしていても
「ごわん!ごわん!」と言って食卓につく。
次男にとっておそらく食卓は楽しいのだろう。
キャベツを食べながら麦茶で泣いた
私はキャベツを食べていた。
やっと夕飯の支度が終わって、みんなが食卓について、
最後に自分の食事を運んで座って。
やせるとか、血圧の急上昇を抑えるとか、
よくわからないけど、最初に食べることにしている野菜。
そのキャベツを食べていたとき、
長男が急に席を立った。
食事に飽きると席を立って遊んだり、転がったりすることは
よくあることなので、またか、と思った。
長男は黙って、冷蔵庫へ向かい、
麦茶のポットを取り出し、
引き出しから小さなマグカップを取り出し、
麦茶を注いだ。
そしてそれを弟の前に置いた。
私は長男に向かって
「ありがとう」と言いながら、自分でもびっくりするくらい感動していた。
ただ麦茶を弟にあげただけ。
でも、それは今までテレビや遊びでいっぱいだった頭に
弟が入り込んだということ。
ぼーっとしている視界に弟のごはんが入っていたということ。
私がやっと座って食べ始めたのを見ていたということ。
コップがどこにあって、麦茶がどこにあるか、
私の姿をいつも見ていたということ。
弟の飲み物がないから、麦茶をあげなくちゃと思ったということ。
それらが全部嬉しくて、
少し得意げな長男の顔を見ながら涙が出た。
宅配ピザやマックや駄菓子に負けても
ご飯の時間は長男にとってそんなに楽しくないかもしれない。
でも私にとっては嬉しい瞬間に出会えるやっぱり大事な時間なのだと思う。
あなたが私が焼くピザよりもドミノピザが好きでも、
私が作るフライドポテトよりマクドナルドのポテトが好きでも、
ご飯を食べるのがたとえ、ご飯の後のキャベツ太郎のためだったとしても、
あなたが食卓についてくれる限り、この家にいる限り、
みんなで食べるご飯の時間を大切に過ごそうと思う。