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「いっぺん死んでみた。」【中編】

「希死念慮の塊である私を認めてくれた彼女」


2023年12月。
事務所に一通のメールが届いた。私と写真展をしたいと言ってくださる写真家さんがいるらしい。私のスタンスとして私と何かを創りたいと言ってくださる方がいる限り生きると決めているので、これがもしかしたら最後かもなと思いつつ話を聞くことにした。
事務所で初めて会った彼女に何をしたいか聞かれた時、口からぽろっと「死にたい」という言葉が出た。その日は鬱状態にあり、誰にも気をつかえる状態ではなかったからつい感情が先に出てしまった。しまったと思った矢先、彼女は意外にも「いいですね」と呟いた。嗚呼、この人となら創りたいものが創れる。そう思った私は思わず笑みがこぼれたが、マネージャーは鳩が豆鉄砲くらったような顔をしていた。だけど私は嬉しかった。思考が同じ方向を向いていないと一つの物語を一緒に紡ぐなんて到底不可能だからだ。
だからと言えど、初めての写真展が「死」なんて普通の事務所だったら到底許されるわけがない。しかしうちの事務所は頭がおかしいので、いや、というのは事務所に失礼である、私のマネージャーはぶっ飛んでいるので驚いたのもつかの間「どんなのにします?」と問うてきた。どんな生き方をしたらこれに疑問を持たずに話を進められるんだ、と怪訝な目で彼女を見る。自分や写真家さんのことを棚にあげておいてなんて生意気なタレントだろう。
それからは、「どういう死に方」で「何故」死ぬのかを3人でわちゃわちゃと意見を出し合った。ルッキズムや誹謗中傷、何者かにならないといけないという強迫観念。今世の中に蔓延る「生きづらい理由」。理由を考えるのも死に方を考えるのも驚くくらいスムーズに決まった。変な人間が3人も集まると謎の力を発揮するのか、と驚いたと同時に三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったものだと先人に感心した。



この写真展はクラウドファンディングにする、と写真家さんが言った。クラファン、正直大嫌いだ。私は基本ファンの人にお金を出させるといった行為が好きではない。というのも自分自身にお金をかける価値がないと思っているからだ。自分に価値がないと思ってる奴が芸能やるのは矛盾しているとよく言われるが仕方ないだろう、自己顕示欲の塊で自己肯定感が低い人間は他人から認められることで自分の存在意義を作ろうとしているのだから。兎に角私は、期待に応えられず失望されたくない、だがしかしプライドが高いから失敗したくない、という感情が故にクラファンをしたくないのだ。
だけど表現したいことを表に出すには当然お金がかかる。残念ながら我々の資産だけでは不可能だ。不甲斐ない。私が石油王だったならこんな問題、感情ごとゴミ箱に捨てられたのに。
とはいえ私がぐるぐる脳みそを動かしたとて、クラファンをすることは決定しているのだ。腹を括れ、山下瑞季。「麻倉瑞季」を応援してもらうのだ。



こうして私と写真家・飯田エリカの地獄の45日が始まった。

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