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3回読んで3回違う側面を見せる漫画『ANGEL VOICE』

試合に向けてあなたがいなくなることを
できるだけ意識しなくてすむようにしてあげなきゃ
手紙を読む成田くんのために書き直しなさい

ANGEL VOICEより

子供の頃から漫画は好きでこれまでいろいろと読んできました。

面白いもの、感動できるもの、熱くさせてくれるものもあって、
もちろんつまらないものもありましたが個人的に良いと思えた作品は、
自分の中でどれも甲乙つけ難く何らかの形で糧になっています。

だけど、もし1つだけ印象にもっとも残ったもの。

人生に大きな影響を与えてくれたものをあげるなら、
僕は迷わず古谷野孝さんの作品、
ANGEL VOICE(エンジェルボイス)をあげます。

ここからは作品について話していこうと思いますが、
内容のネタバレがあるので気をつけてください。

この作品は不良のたまり場となり喧嘩最強軍団と呼ばれるようになった。

そんな市立蘭山高校、通称市蘭サッカー部をなんとか立て直すために、
黒木鉄雄(くろきてつお)が監督として招かれるところから始まります。

黒木監督は不良たちの中にいてもめげずにやっていける生徒を集めて、
まずはサッカー部としての活動を始めようと考える。

その際に目をつけたのがこれまた中学時代喧嘩最強と呼ばれていた、
成田 信吾、所沢 均(ひさし)、乾 清春、尾上 輝久の4人。

成田、所沢の2人を引き込むことに成功した黒木監督は、
もともとサッカー部だったけど機能しておらず部を離れていた、
百瀬 宏一(こういち)を加えた3人でまずは活動を始める。

その後、様々な人間模様を見せながら徐々に人が集まっていき、
マネージャーとして高畑 麻衣(マイ)を加えて最終的に、
千葉代表として選手権出場を目指す。

全体像は似たような設定はいくらでもある、
サッカーを軸としたスポーツ漫画です。

ですが、この物語は中盤から急展開を見せる。

マネージャーである麻衣に重度の脳腫瘍が見つかって、
もう長くないことが発覚するのです。

麻衣は元不良が多くて血の気の多いサッカー部員たちをまとめるために、
勇気を出していろいろと献身的に活動していました。

喧嘩嫌いにも関わらずサッカー部員の過去の因縁から、
喧嘩に巻き込まれそうになった時には体をはって、
それを止めたりしたのです。

仲間同士でも度々喧嘩が起こる日々の中で皆がチームとして、
1つになれるよう手を尽くしてきた。

何よりエンジェルボイスの由来でもある麻衣の歌は、
聞いているときは心が安らぐと皆に言わしめる。

普段は怒鳴ったり暴力にうったえることも多いサッカー部員が、
おとなしく座って聞いている光景は漫画として見ているこちらも、
思わず心が安らいでいくような温かさがあります。

そんな歌も脳腫瘍が原因で滑舌が悪くなって歌えなくなり、
体も徐々に動かせなくなっていくなかで死の恐怖と戦っていく。

だけどそんな素振りを部員達の前ではみじんも見せない、
そんな麻衣の姿を見たサッカー部員はさらに奮起して、
念願であった千葉代表になるために全力でサッカーに打ち込むのです。

そして、最終的に選手権予選の決勝に進み2年連続全国1位の、
船和学院との試合に臨むことになるのですがその際、
病院から出られない麻衣はサッカー部員皆に手紙を書くことにする。

ここが個人的にこの作品でもっとも印象が大きく、
忘れられないシーンとなっています。

母親に手伝ってもらいながら成田への手紙を書いている、
ちなみに麻衣は成田のことが好きで物語序盤で告白もしています。

そんな成田はプロにも通用するとまで言われる選手として成長していき、
麻衣はプロのサッカー選手になる姿を見たいと思っていたのですね。

だけど、自分が長くないことを悟っていた麻衣は手紙の中で、
姿を見たかったなと書いてしまう。

それを見た母親が見たかったじゃなくて見たいでしょと言葉をかけ、
それに対してもうすぐ死ぬんでしょと諦めに似た言葉を返す。

この時、母親が返した言葉が冒頭に引用したもので、
改めてここで引用しておきます。

試合に向けてあなたがいなくなることを
できるだけ意識しなくてすむようにしてあげなきゃ
手紙を読む成田くんのために書き直しなさい

ANGEL VOICEより

病気になった直後、もう長くないと悲観する麻衣に対して、
母親は良い人は死なない、世界はそんなふうになってると、
気休めのような言葉しかかけられなかった。

娘がもうすぐ死んでしまうという状況に突然放り込まれ、
どう振る舞っていいかわからなかったと思うんですね。

それこそ泣き叫んだり取り乱したりすることもできたでしょう。

だけど、脳腫瘍で右腕が動かなくなってきた麻衣に、
左腕で文字を書く練習をさせてたことなどが後に判明する。

ようは、母親は娘の麻衣がもうすぐ死ぬという現実を受け入れた、
麻衣が生きていてくれることはもう諦め残された短い時間の中で、
何を残し後悔しない最後を迎えられるかを考えた。

それが、思い入れがあり絆を深めてきたサッカー部に対して、
何ができるかということだった。

娘が死ぬということを否定せずそれどころか言葉遣いをたしなめて、
手紙を書き直させた裏にはそんな母親の成長があったと思うんです。

それを聞いた麻衣もまた泣きながら手紙を書き直す、
自分が死ぬということを受け入れたうえで、
何を残せるかを考えるという方向に進むことができた。

多くのアカデミー賞受賞者を育ててきたシナリオ講師、
ロバート・マッキーさんは主人公とは、
物語を通じてもっとも変化した者だと定義しています。

エンジェルボイスはスポーツ漫画という体であり、
サッカー選手としてもっとも変化成長したのは、
先に少し話した成田信吾。

サッカー漫画としての主人公は成田です。

だけど、この作品は人生を通じて何を残すかという物語でもあり、
その視点で見るともっとも変化成長したのは高畑麻衣と、
その母親だと僕は思うのです。

最初は母親も自分の娘の死を受け入れられず麻衣だけでなく、
おそらく自分に対してという意味でも気休めの言葉をかけた。

だけど、そこから成長して何を残すのかについて、
道を示し一緒に歩いてきた。

もし、手紙の言葉遣いを直さなかったり文字を書く練習をさせないで、
自分で書くことができなかったりしたら最後の時。

何かしら後悔が残っていた可能性があったでしょうが、
母親としての成長が麻衣を後悔させない道に導いた。

そして、最後は船和学院との試合の途中であるにも関わらず、
予選優勝したという母親の嘘を信じ笑顔で人生に幕を下ろした。

サッカー部員達は母親の嘘を知り全力でプレーし、
優勝を果たして嘘を真実にすることでサッカー漫画として、
物語は終わりを迎えるのです。

この一連の流れが本当に感動的で何度読んでも涙が出る、
どんな言葉であれば伝えられるだろうと思う、
というか伝えきれないだろうと思えるぐらい。

生きるとは何か、自分が残せることは何かということを、
何度でも考え直させてくれるのです。

で、同じように考えるサッカー部員の、
脇坂秀和という登場人物がいます。

脇坂は喧嘩最強軍団だったサッカー部に所属していた、
生粋の不良からサッカーを始めた部員なのですが、
ある意味この作品でもっとも人間らしいといえます。

強いチームと試合をすれば弱気になったり、
誰かに図星をつかれると自分を守ろうとしたり、
失言だったことに後から気づいて後悔したりする。

だけど、麻衣が脳腫瘍でもう長くないと知った時、
何をすべきかを迷いながら誰よりも早く、
きちんと考え始めたのは脇坂だった。

最終的にはチームのデフェンスの精神的支柱として成長し、
皆が諦めそうになる中で誰よりも早く立ち直り、
周りを鼓舞できるようにもなっていった。

そして、選手権予選優勝と麻衣の死後が少し描かれる中で、
大学を卒業する直前に黒木監督と会い、
自分が小学生の教師になりたいことを告げます。

死を目前にした麻衣の姿と自分達が考え行動してきたこと、
そこから見えてきた命の重さと大切さを、
生きている自分が早い時期から子供たちに伝えていきたいと。

不良として人に迷惑をかけてきた時、サッカー部員として駆け抜けた時が、
最後に麻衣が残したものを自分なりに伝えたいという決意につながる。

人間として物語のなかでもっとも成長したのが脇坂だと思うんですね。

この作品は成田を中心としたサッカー漫画として、
麻衣とその母親を中心とした限りある人生の歩み方の物語として、
そして脇坂を中心とした人間として大きく成長する物語として。

3つの側面を持つ3回読んで学び楽しめる漫画だと、
個人的には思ってます。

ざっとしかお話しておらず魅力の1割も伝えられたとは思いませんが、
もし興味を持ってくれたのならぜひ読んでみてください。

時間があれば3回、それぞれの物語として読んでもらいたいですし、
自分なりの楽しみ方を見つけるのもまた面白いと思いますよ。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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