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キャリア的視点325 -歴史上の大罪人? 明智光秀-

毎日ブログ 325日目(2021/1/18)


岐阜県可児市

実は私、岐阜県可児市に生まれ、18歳まで暮らしていた者です。

それが何かって? 知る人ぞ知る、とある歴史上の人物の生誕の地なのです。
その名も、大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公でもある「明智光秀」様、なのです。
明智城は既になく、城址が少しあるのみ、ということもあり、行ったこともありません^^;

正直、可児郡可児町生まれ、可児市育ちの私は、お恥ずかしい事に光秀は「裏切り者!」という、ほぼ全国の学校教育のままの印象でした。
光秀がお城を建てたとされる福知山城のある京都府福知山市の皆さんとは大違いです^^;

生まれ故郷の岐阜県可児市で、織田信長を裏切った男として思われ、生活をしていた福知山市では素敵な人、と謳われる明智光秀とはどんな人物だったのでしょうか。


明智光秀

まず、光秀は福知山城などの城を持っていました。これは織田信長の家臣の中で、最も早かったとききます。それほどに忠義を示し、実績を積み、信用を受けていたと言うことなのではないでしょうか。

もう一つ有名な話なのですが、明智光秀の奥さんの話です。名前は煕子(ひろこ)さんと言うそうです。
光秀と彼女は婚約をしていたそうなのですが、煕子が病に伏せり、その為に顔に大きなアザが出来てしまったとか。

煕子の父は
「この顔では武士の妻に相応しくない」
と、似ている妹との結婚を勧めたそうですが、
「心の美しさは変わらない」
と言って、煕子と結婚をしたそうです。
しかも、城持ち大名であって当時の世間的には許されていた「側室」を持つこともなかったと言います。

月さびよ 明智が妻の 話せむ

元禄2年(1689年)の松尾芭蕉のこの句は、光秀と煕子の仲睦まじい様子伝え聞いた時に詠んだ句だと言われています。100年経っても語り継がれるって、どれだけ慕われていたのか。

夫の威厳を保つために、長く美しい髪を売って客人をもてなしたという逸話が残る光秀の妻、煕子もまた、芭蕉の心に美しい印象を与える女性だったのでしょうね^^

たったこれだけの話ではあるのですが、光秀がいかに「優秀」で「素敵」な人物だったのではないかと、思ってしまうわけです。


史実はどこに?

そう考えてみると、本能寺の変で歴史に書かれる「光秀の裏切り」は、真実なのでしょうか?
先の2点を考えただけでも、光秀が信長を裏切る様には思えなくなってきます。

大河ドラマ「麒麟がくる」のおかげで、注目を集めることになった光秀ですが、ドラマは史実とは異なります。異なりますがこれまでの教科書に載っていた「史実」よりは、よほど真実に近い様に思うのです。

私達の知る史実が、真の史実だとした場合、光秀が「裏切る」行為に至ったのには、それ相当の理由、覚悟、想いがあったのだと思うのです。
それは一体何だったのか…


戦国時代は情報戦の世界です。
遠征先で
「殿(信長)が襲われる!」
と、信頼している仲間から聞かされたら、光秀なら殿を救うべく駆けつけるのではないでしょうか。
そこで実際に信長が襲われていて、しかし間に合わず、蘭丸と共に自害をするのを止められなかった。
そして信頼している仲間から「汚名」を押し付けられたとしたら…
実は光秀が裏切ったのではなく、裏切った誰かにその罪をなすりつけられたのではないでしょうか…
その誰かとは一体… 秀吉や家康だったら面白いのですが…^^;

これも私が勝手に創作した話です。歴史文献などを何もみないで、思いつきで書いているだけの話です。そんな空想的刺激をもらえる題材にもなりますよね(^^)

歴史の闇に消えた光秀の真実。
やっぱり可児市育ちとしては、もう少し興味を持っても良いのかもしれませんね^^;


余談

平成の大合併で、光秀の故郷である可児市に、森蘭丸の故郷である兼山町が合併して、可児市は歴史上の人物2人を輩出した市となっています(^^)



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