#123 きっとこうやって私たちは繋がっていけるんだよ
先日、沖縄で酪農家さんにお世話になっている次男が、ビデオコールのなかで海岸で拾ったシーグラスを見せてくれた。
これまで私たちが見たことのない色のグラスに、長男と一緒に「WOW!」を連発してしまう。濃いものから薄いものまでパープル系がたくさんあるのだ。
拾って終わりじゃなく、私と一緒にやったことを活かしてくれていることにちょっとキュンとした。
それがこの記事だ。
沖縄でシーグラスを包んでみようと思ったことも面白いが、
なぜ沖縄にまで行ってまでうちの息子がこんなものを「拾っている」のか‥‥
それはいつもいつも私と一緒にやってきたからにほかならない。
それはもう無意識に「やってしまう」のかもしれないけれど、
でも私はわかっている、きっと私たちのことを想いながら息子が海にいたことを‥‥
シーグラス拾いで救われた日々
その頃、私は精神的に追い詰められていた。
仕事に行くのが辛かった。
仕事を辞めたら辞めたで、楽になるかと思えば、自分だけ世の中からこぼれ落ちてる気がして落ち着かない。
なにかに対して、申し訳ないとか情けない気持ちを勝手に抱えていたし、自分の価値がわからなかった。
家に居て飽きることはなかったけれど、家族は外に出たがらない私をよく連れ出そうとしてくれた。
あの頃はまだ家にいた次男との生活だった。
夫と息子が「出かけよう」というので週末は重い腰を上げて一緒に海岸の散歩に出かけた。
なんにも楽しくない、全然笑えない。なのに独りも嫌だというめんどくさい私がいた。
夫と息子は岩の上をぴょんぴょん飛び越えて遠くまで行ってしまうことがよくあった。元気な時は一緒にできたそれも、気力が湧かず、気がつけば波打ち際に独りになっている。
そんな時でもシーグラス拾いだけは、私がいつの間にか夢中になれることだった。
もともとは水色や緑色のガラスが水のなかできれいに見えて、嬉しくて拾っていたものだ。
最初はきっと、手で触れたら怪我をしそうほど尖ったガラスの破片だったはずなのに、
気の遠くなる程のあいだ波に打たれて行ったり来たりして、
ごつごつの石に揉まれて揉まれて角がとれ、
いろんな形でありながらまあるくなったシーグラス。
乾くと曇りガラスなのに、もう一度水につけると透明になれる、そんな順応の早さもある。
もともとは「私の楽しみ」だったはずだ。
それがいつの頃からか、笑えなくなって、まるでシーグラスを見つけることだけが心の拠り所のようになっていたのではなかったか‥‥
気づいたら、家族がみんな黙々とシーグラスを探し始めていた。
妻が、母が、『生きているのが空虚だ』と感じている時、
夫と息子は一緒にシーグラスを拾うことで、私に寄り添ってくれた。
夫と息子と私、3人でそんなことを何十回繰り返したことだろう‥‥
一度に見つかる数は限られていても、3人が拾った分を家に持ち帰って洗ってきれいな水に浸す。
乾かしては瓶に入れる。
そうして私自身は前進したと思えないのに、シーグラスだけは家族の心許なさを埋めるように、
私の心の隙間を埋めるように、
悲しい日も空しい日も、大きな瓶に貯まっていった。
このシーグラスをどうするの?
どうにかしてやろう、と集めたわけじゃない。
これは家族との絆
過ごした時間
互いを思いやった証し
きっとあの世でもね
私がまだ一人でシーグラスを探すのが楽しくてやめられなかった頃に、
どうしてだか「私が死んだら、あの世の海岸でこんなふうにしゃがんで拾って、はしゃいでいる私を想像してね」
と家族に言ったことがあった。
水に反射する日の光に目を細めていると、そういう自分の姿がなんだか目に見えるような気がした。
あの世では、作ることも食べることも何も心配しなくてよいのなら、海岸で貝殻やシーグラスを探して過ごす以上に楽しいことがないような気さえしたのだ。
私が死んだあと、子どもたちが心で描く情景が、そんなものであったなら愉快だ。
せきさんのエンディングノートの体験セッションを受ける
せき@オリックス好き放送作家さんが、終活作家としての活動を始められるということで、エンディングノートの体験セッションをしてくださるという記事を目にした。
なぜだかわからないけれど、夜遅くにnoteを閉じて寝ようとした寸前に目に入ってしまい、あれこれ悩んでみる思考も鈍っているなか、ポチっと応募して寝てしまった。
こういうことは緊急性がない分、あれこれ考えたら決心できずに終わりそうだったから‥‥
せきさんはシングルファーザーで放送作家というお仕事もあるご多忙のなか、9時間という昼夜逆転の時差のある私との時間を考慮してくださった。
それだけでも恐縮なのに、
Zoomでせきさんのお顔を拝見しながら一時間お話させていただく。
大切な奥さまを亡くされた経験から生まれた他者への思いやり、そして使命感に、とても心を動かされた。
私は、日本でしか手に入らない紙のエンディングノートは用意できていない。
けれどお話を伺っていると、少なくとも私がテンプレートなしでも書き始められることがたくさんあると、背中を押された気がする。
番組制作というお仕事に関わるせきさん独自の視点やネットワークを生かした今後の活動展開のお話もとても興味深く聴かせていただいた。
せきさん、改めてありがとうございました。
エンディングノートに関しては、せきさんをはじめ、noteで情報を提供されている方々がいらっしゃいます。
有効な情報がたくさん得られますのでお勧めします。
エンディングノートを書くことは人生の終わりにフォーカスしているようであって、実はこれからの自分をよりよく生きる指針となる大切なことがそこに詰まっている。
それが私の学んだことだった。
海の一滴は世界の果ての一滴と繋がっているから
自分のエンディングノートには何を置いても記しておきたいことがある。
私が死んだあと、火葬して、遺灰を海に撒いてほしいということだ。
夫にも若いころから心に決めている場所がある。それは小高い牧草地の丘の上にあって、そこだけ木がたくさん植わっている。
地面に根を下ろしていないと安心しない夫らしい選択だ。
「一緒にお墓に入る」という感覚とは違う。
どちらか先に逝く方が撒かれた同じ場所に、あとから逝く方は遺灰の半分を、残りの半分を自分の決めた場所へ撒いてね、と言うのかもしれない‥‥
海に行くたびに思っていることがある。
海に落ちた一滴の水だって、海に入った瞬間に世界中の海の水と繋がるのだと。水に境界線がない以上、海は「ひとつ」といっても間違いじゃないと思っている。
そう、私の目の前にあるのは「ひとつの海」の一部分でしかない。
私はイギリスだけでなく日本にも大切な家族や友人たちが居て、
そして我が子たちも、いづれ地球のどの場所に住んで、どの海を見ているかはわからない。
だから、「遺灰を海に撒いてもらう」ことは、それ以上の選択があり得ないくらい、私にとって最善という気がしている。
海を見て、
水に手を触れて、
私の魂を感じてくれるならうれしい。
私は想う相手との物理的な距離をいつも感じて生きてきた。
だから遠く離れた海辺にいたとしても、海の水が私たちを繋げてくれて、果てしなく一緒にいられる、
そう思えることが最高だと思う。