#85 思い出のツナと人参ごはんと、祈るおばあちゃん推しの白だし
私の思い出に残るごはん、それは教会でよくいただいたほっかほかの炊き込みご飯。ちょうど日本で子どもたちが幼かった頃のこと。
中身はツナと人参。
お釜をセットする時にさなえ先生 (仮名) が、一升瓶の白だしを抱えて計量カップのようなものに注がれていた。
「これはなんでも美味しくしてくれる万能選手なのよ」と言いながら。
さなえさん。先生と私が呼ぶ女性は、私がまだ日本に住んでいた時にお世話になった教会の牧師夫人である。随分遠くの街から、北陸のその地へご家族全員で移住され、まだ方言にも慣れていなかったのを憶えている。
私はその頃、人生につまづいていた。
ある日、優しそうな知らない女性が家に訪ねてきたことから始まる。ものすごくためになるお話をされる方がいるから聴きに来ないかと誘われる。それがどういう場所かはっきり明かしてくれなかったが、自己啓発的なものと思い、出入りを始めた場所だった。そこで「あなたの子どもがそんな行動をとるのには原因がある」などと、過去に苦しすぎて向き合えなかった『罪悪感』について言及された。
本来しあわせの真っ只中にいながら、自分という人間だけが罪深く、こんな私に育てられる我が子たちが憐れで泣けてくるのだ。子どもたちのあどけなさを見れば見るほど自分の根っこにあるものが恐ろしくてたまらなかった。
それと時を同じくして、私はこどものプレイグループでこのさなえ先生の教会に出入りしていた。
「クリスチャンにはなる気はないので」
そううそぶいていた私だったのに、何も求めず懐深く包み込んでくれた場所だった。
「私のような人間はいない方がいいのではないか・・・」
そこまで思いつめた時に、私が相談したのがさなえ先生だった。
さなえ先生は、「それはどこからくる声なのでしょうね。神さまは絶対にそんなことを言われないのよ」と。
そして、「後悔も償いも自分に向かって叩きつける代わりに、神さまに全部お渡ししましょう」そう言って祈ってくださった。
お話を聴きにいく場所(何かの新興宗教だったと今ならわかる)で言われたことと、さなえ先生の言葉。
それは『北風と太陽』のお話のような対比だったと思う。
さなえ先生の炊き込みご飯がツナと人参だけだったのは、今思えば教会の懐ろも反映していたのだろう。
だけど、なんであんなに美味しかったのかな。
あの白だしを今買いたいわけではないけれど、地元じまんのあの一升瓶の液体はどこで作られていたのかがなんだか気になる。メールで仲良しの智ちゃんに訊いてみたら、おそらくこれだろうという名前を教えてくれた。ほかの教会員さんにもチェックしてもらったから、と。
それは、石川県白山市にある『吉田屋醤油店のプロだし』というものだった。
もう22年日本を離れている私には聞き馴染みのない白山市。付近の多くの町が合併してできた市のようで、かつては石川郡鶴来町だった町。『鶴の来る町』なんて素敵な名前!身近にあった頃は気づきもしなかった、そんなひとつひとつが愛おしく思える。
智ちゃんが言うには、このプロだしは『教会一祈る人』だったおばあちゃん、米倉さん (仮名) のこだわりだったらしいのだ。
米倉さん亡き後は、こだわりの人がいなくなり、もっと手軽に買えるだしに変わってしまったという話だった。
帰省した私が教会を訪ねる度に、
「ミズカさん、あなたとご家族のことは毎日祈っていますよ」
そう伝えてくださった米倉さん。『あなたのことを毎日祈っている』
こんなことを言える人はなかなかいないのではないかと思う。毎日というからには毎日なのだ。本当のことでなければ言えない。
米倉さんは祈る相手の名前を書いたノートを毎日使っていたのだから、漏れていなかったという確信がある。
いつのまにか毎週の日曜礼拝にも足を運ぶようになって、礼拝後にみんなで頂くうどんにもあのだしが使われていた。
みんなのことを祈り、みんなのことを想う米倉さんが譲れなかっただしの味だものな・・・と、遠い地から、遠い時へ想いを馳せる。
美しく飾った食卓で、渾身で作った料理をもてなすのは素敵だ。絶対に美味しいとわかっているレストランでもてなす人も多いと思う。
だけど私が特別に恋しく想うのは、こうして炊き込みご飯を差し出してくださるために、汗を拭きながら給仕してくれたあの方や、頭にタオルを巻いてやかんに入った麦茶を注ぐあの方たちの姿だ。時にみんなが得意料理を持ち込む愛燦会というのもあった。みんなの笑顔がこぼれていた。
イエスキリストが、誰も一緒に食事をしたがらなかった徴税人や娼婦など、社会から虐げられた人とともに食したのに倣う場所、それが教会だ。
流行り病で、教会での礼拝そのものが制限される時も多く、集まれた時でも『ともに食す』場はないそうだ。早く食堂に美味しいだしの香りと笑い声が広がる日が戻ることを祈ってやまない。
私にとって、ツナと人参の炊き込みご飯は、絶望を希望に変えてくれた味だったといえる。さらに祈ってくれた尊い人の思い出に、改めて胸が熱くなるのである。
遅ればせながら、ギリギリで参加させていただきます。素敵な企画をありがとうございました。
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