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#262 父と私① 生い立ちと人格形成
これまで日本の母のことを話題にしたnote を書くことがあったが、父のことはあまり書いていない。
書くことがなかったのでなく、
書きたいと思わなかったのだろう。
尊敬できる父ではなかった。
父が何を考えていた人かよく知らなかった筈なのに、「尊敬できない」というハッキリした意思を持ったのは、母の感情に同調したからだと思う。
父は仕事をよく変えた。
私が物心ついた頃から我が家は自営だったが、商売も場所を変え異業種に様変えするのが父のスタイルだった。いや、スタイルもへったくれもない。
家族が振り回された話は書けばキリがない。
実は書きかけて消してしまった話がこの後に続く。やっていた飲食店で自分が厨房に立つのが辛くなった父が、その後に手を出した商売では生涯の汚点を残した。
当時、私が結婚するのが『外国の人』であったのは大きな救いだった。父が何をしている人かは、夫が適当に話をぼかすだけで済んだからだ。日本人同士だったなら、お相手の家柄によっては破談になってもおかしくなかった‥‥
ちょうど結婚適齢期だった兄と弟のことでは母が頭がおかしくなるほど悩んだものだが、みんな結婚できたことは奇跡だったと思う。
(読み返して、父の名誉のため‥‥ 法に触れることではないです。ちょっと恥ずかしめのことをやって、結局失敗だった的な話です‥‥)
私の中で父はずっと『横暴な男』だったと思う。
子どもが全員独立した後、母が「出ていきます」と土下座したことがあったらしい。
けれど祖父母(自分の親)から「出ていくのはおまえだ」と言われた父のほうが家を出た
‥‥こともある。
あの頃は日本に住み第一子を出産したての私のところにふらっと寄った父が、私の夫の肩で男泣きした光景が今も忘れられない。
いろいろあった。
私は母がもう解放されるべきだと思っていたので、二人には別れてほしかった。
それが今はどうだろう。
独りでは生きていけない二人は、支え合って暮らしている。
母が自分の名前を思い出せない時があり、泣く母を父が慰める。
こんな優しい父になるなんて昔は想像すらできなかった。二人が一緒にいてくれることに今となっては感謝しかない。
私の父はなんというか人間的な部分に欠陥のある人だった。頭はキレるのに、一言で言うなら『根気がない』。
慢性的に腎臓の機能が悪く、とても疲れやすいのは嘘ではなかったはずだ。
けれどそれ以前に、おさなごの頃から側で一挙手一投足を見守ってくれる『母』*の存在がなかったことが、父の人格形成に大きく影響したと思う。
子どもが経験していくことを通しておかあさんが「うまくできたね」とか「それでいいよ」とか声を掛けてあげることで、子どものやる気が生まれるという。難しくても失敗しても根気よく頑張る力が育つという。横に居て「かわいい」とか「美味しいね」と言ってくれるおかあさんの存在が、どれだけ子どもにとっての『affirmation 』となることだろう。
アファメーションの日本語訳を探していたら、こんな記述が目に入った。
アファメーションは、“自己達成予言”とも呼ばれ、自分の理想やポジティブな未来、目標達成した状態を思い描き、言語化して繰り返し宣言することです。 不安な気持ちやネガティブな感情を払しょくして、前に進む意欲や集中力が生み出せます。
『自己達成予言』という表現があまりに言い得ていて驚いた。
*(『母』である必要はなく、おかあさんに代わり愛情を注いでくれる人も含みます)
私の父は赤ん坊の頃に母親と引き離されたことで、ずっと寂しかったんだと思う。そのことに負い目がある祖父は息子を厳しく叱れない親になっていった。私の父には何かを成し遂げたいビジョンがあっても、長続きさせる力が育たないまま大人になってしまったようだ。
以前書いた私の創作であるが、モデルになっているのは、そのまま私の父だ。1,200文字の物語に、なぜ父が家族の愛し方を知らなかったかを詰め込みたくなったのだ。
ずっと好きではなかったし、なんなら恨んだこともあった父だが、父の生い立ちを知るにつけ、だんだんと嫌悪が消えた。誰も好んでいじけた人間になったわけでも生きづらい人生を選んだわけでもないからだ。
今私は父がとても愛おしい。こんな日が来るなら歳を取るのも悪くない。父はストレートに私への愛情を表現してくれる。電話くらいなんでもないことなのに、毎回感謝を伝えてくれる。
こんな気持ちが父のなかにずっとあったのに、伝える術を知らなかったのだろう。今知ることができて本当によかった。
尊敬できなくったって、可愛いと感じるのは肉親の情だと思う。
「我が子は幼児期の可愛らしさだけで一生分の親孝行をしたようなもの」と聞いたことがあるが、その通りだった。思春期の生意気も許せたし、これから何かしでかしても我慢できそうなくらいのものをちゃんと貰っている。
「親はそうはいかない‥‥」と思っていたが、可愛らしい父に出会うことができた私は、この先なにがあっても、少しは耐えていける蓄えを今しているのかもしれない。
父と私のことを三回にわたって書いてみようと思っている。
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