#37 MY HERO ポールと洗礼のミズシブキ
ポールは小柄で華奢な60代、ダウン症候群の男性だった。
初めて彼を見たのは私が今の教会に通いだした時。
毎日曜、一番前の列の右側の端が彼の決まった席だった。
ダウン症にはとても特徴的な顔のキャラクターがあって、これは人種に関係なく、共通するようだ。
私なりにいろんな国籍、人種の方に会ってきたが、似てないはずの人種同士なのに、なんだかみんなが家族みたいなのだ。
ポールの写真は載せられないが、彼もまたあなたの知ってる六十代のダウン症の男性ときっと似ていたと思う。昔、私が子どもの頃見た『くしゃおじさん』をそこはかとなく思わせたのは、今にして思えばポールには歯がなかったのかもしれない‥‥
彼はいつも、ジーンズを履いていて、一本の脚は床に付け、もう一方の脚をあぐらのように椅子に載せていた。
そして、木製の四角柱の車両のようなものをいつも持って来ていた。それは笛でありシェーカーであった。
私たちの教会はオルガンで弾く讃美歌を歌う厳かな場所ではない。毎週ミュージシャンが変わるバンドに合わせて、皆が揺れたり踊ったりして、Worship songs を歌う楽しい教会だ。
ポールは歌は歌ってなかったが、彼のパーカッションはいつも嬉しそうに教会全体の Worship に溶け込んでいた。
ポールには、ダウン症の人に共通してみられる、愛くるしさもにこやかさもなかった。うつむき加減で憂鬱な空気を醸し出しながらシェーカーを振るポールが、実は『喜んでいる』ことをみんなが知っていた。
そうそう、聖書にイエスキリストの使徒として、もっとも影響力をもったひとりであるパウロという人物がいる。パウロは英語では言わずもがなの『ポール』だ。
説教の中で、ポールの名前が度々出てくる日というのがある。牧師が、「‥‥ポール‥‥」と口にすると、ポールがボソボソッと (自分のフルネームである)「ポールボンド」と合いの手を入れるのだ。
ポールにはひとつの逸話がある。
それは私がまだこの教会を知る以前の話だ。
キリスト教の教会には、信仰によってイエスキリスト (以後ジーザスと呼ばせていただく) に従って生きる決心をした人が希望して受ける洗礼式がある。
私の教会では、洗礼は水をちょっと額につけるだけのものではなく、ジーザスの時代と同様、体全部を水に沈めてから起き上がるのが洗礼のあり方である。
これは全身礼といって、川や湖で執り行う教会もあるが、通常は教会の床を開けると、忍者寺か!と驚くようなバプテストリーと呼ばれる水槽が現れる。
そしてこの日は、年に数回やってくる。
なんでも話によると、ポールは毎回この洗礼式があるたびに、水のなかに入りたがるので、周りがいつも慌てて止めていたらしい。
ところがある洗礼式の日に、予定されていた人たちの洗礼がひとりまたひとりと終わったところで、ポールが水に飛び込んだのだ。とうとう‥‥
見ていた一同はびっくりしたけれど、ポールのその姿を見て、なんだか『わかってしまった』というのだ。
そう、ポールは唸るのはうまいが、自分の想いを言葉にすることができない。もちろん洗礼を受けるためには牧師と面談したりいろいろ段取りがあることなど知るよしもない。
だけどポールは、自分も洗礼が受けたかったのだ。
その時、教会がひとつの想いでまとまり、牧師がポールに洗礼を授けたという。
普通はみんな自分でタオルと着替えを用意してくるものなので、きっとポールが水から上がる前にはバタバタとタオルや着替えを用意したのかなと考えると可笑しくなる。
そして、ポールが神様に自分の想いを示すのが洗礼の意味だとちゃんと知っていたことに胸が熱くなった。
それから後の洗礼式にはもちろんポールは水に入ろうとすることもなくなったという。彼はいつもバプテストリーの脇にあぐらをかいて座るのだ。私は洗礼の日は誰に遠慮もなくポールと並んで、床に体育座りをする。ポールが立ったり座ったりするときに支えになってあげられるし、床にぴったり座れる人間なんて私くらいだからだ。(イギリス人は椅子の高さより低い場所に基本腰を下ろしたりしない)
バプテストリーの脇で、誰かがバシャーっと水に沈められて、そこからズバーっと再生して起き上がる度に、スプラッシュマウンテン気分を味わい尽くす、ポールと私。
この感動の場面を目撃する同志のような関係をポールと築けるのがいつもなんだか好きだった。
一度も会話したことはないけれど、手を繋いでくれるから‥‥
いつも礼拝が終わった後、ポールだけは飲み物の列についてお茶を淹れてもらわなくても、誰かがちゃんとティーとビスケットを運んできてくれる。
たまたまポールがぽつねんと座っている時には、私もティーを運んだ。でも私がポールのために選んだビスケットがお気に召さなかったようで、私のてのひらにビスケットを口から吐き出してくれたこともあった。
‥‥もう、子どもなのかおじいちゃんなのかよくわからないお方だった。
そんなポールとの思い出が作られたのも4,5年のことだった。
60代のポールはダウン症としては高齢のほうだったから‥‥
ポールが入院したと聞いて、私は毎日面会の許される夜の時間に会いに行った。
会話ではないけれど、「ねえポール‥‥」って勝手に言いたいことを言って、そしていつも私が持って行った Worship Song をヘッドフォンで聴かせてあげた。あの頃はまだMP3 に入れていたと思う。
病院の白いベッドで横たわるポールは痛々しいほどに小さかった。
なのに、辛いとか痛いとか、泣き言のような声を出すこともなく、
まるで『与えられた命』と『それが終わるまで』を粛々と全うしていた。
なにもわからなくて怖いという風では決してなかった。
ポールは、私の持って行った Worship Song を嬉しそうに聴きながら、両腕を高く揚げてまるで天を見上げているようなこともあった。
その姿は神々しい英雄だった。私はあの時のポールが消え入りそうに小さいのにも関わらず英雄に見えたことが忘れられない。
ああ、ポールは本当に神様の懐に抱きとめられようとしている。きっと苦しいのに、こんなに平安な姿で、すべてを神様に託している‥‥と
数日後、ポールの訃報を聞いた。
私は「ポールありがとう、ありがとう」と泣いた。
しばらくして教会では『ポールの人生を祝う会』が執り行われた。
ポールのことを話したい人、ポールにお礼を言いたい人、それぞれがみんなの前でマイクを持って語るのを聴いた。私も、私のヒーロー、ポールのことをちょっと自慢気に話した。
みんな泣き笑いだった。
いや、一番泣いてたのは私だったかもしれない‥‥
なんだか月並みな表現と言われそうだけれど、私には本当に、ポールが天国で、ジーザスの隣で、あぐらかいてシェーカー振ってる姿が、
ちゃんと見えている
世界ダウン症の日にちなみ、忘れられない人たちの思い出を書きました。シリーズで4投稿あります。よろしければこちらもお読みくださいね。