#67 若いもんと自分を一緒にしちゃあいけないと学んだ日~ファスティング二日目~
私はファスティングには慣れているはずだった。
大抵は、3日間を目安にするので、実質は開始日前の夕飯後から4日目の朝食を食べる前までの86時間、形のあるものを食べないというのがいつもの私のファスティングだ。そうやって内臓が消化の機能を休めている間に、体がデトックスされるというものだ。
一日目は、長い散歩にも出たし、夫の料理するベーコンの匂いを嗅いでもまだ余裕でいられるくらい元気でいられた。昨日の様子はこうだった。
そして翌2日目の朝、6時半に目が覚めたのですぐにPCで文字を打ち始めた。起き掛けのまだ顕在意識が覚醒しない時間は、時にインスピレーションが降ってくるからだ。
いつもの夫からのコーヒーデリバリーは届かない。私がファスティング中なのと、お休みで夫がバイクの早朝ライドに出かけたからだ。
『あれ?わたし水が要るんじゃない?』
理性ではそれをわかっていたのに、体がそのままいけてしまったので、惰性で続けてしまった。私は文を作るのがめっぽう遅い。何度も何度も語順を変えたりしているうちに水を飲まないで2時間が経っていた。
それがいけなかった。
調子よく起きていたのに、気づいたときにはものすごく体が弱っている感じがした。 あ、っと気づいたときには、きっと遅かったのだ。慌てて合計1リットルくらいの水をゆっくり飲んだが、体からぜんぜん力が湧いてこない。
今回のファスティングは息子と一緒なので、いろいろに試行錯誤をしてみようと決めていた。
普段のひとりのファスティングでは酵素 (エンザイム) を摂れるよう、リンゴと人参がメインのジュースを自分で作って毎日飲んでいた。このために高回転数の熱で酵素を殺さないスロージューサーも買っている。
ところが息子は、そのようなジュースの中の糖分が体に入ると、空腹感を維持しておきたい体に間違ったサインを与えることになる‥‥ たぶんそんな感じのことを言い「飲むのが水だけであることに意義がある」説を持ってくる。
それで今回私は、普段の一日三回そのジュースを作って飲むということをせずに、息子と同じようにやろうとしていたのだ。
もしもまったく生気のないゾンビのようでもよかったならば、水だけ飲んで寝ているというのもできただろうが、せっかくの土曜日、私はいつも通りに家族でウォーキングに出かけたかった。なにしろポジティブな数日にしたかったのだから。
観念して、息子に「お願い!ジュース作って。水だけじゃ私はムリってわかったから」と頼み、ぐったりしていた。息子が作ってくれたジュースに入っていたものは、にんじん、りんご、きゅうり、生姜、ヨモギ、レモン。そこに水の代わりにパラダイス酵母*で発酵させたりんごジュースを入れた。*(パラダイス酵母に興味のある方はFacebookのグループでご確認ください)
それは感動するくらい美味しかった。
それは、ひと口ひと口飲むごとに、体の細胞が蘇るような気力を与えてくれた。それからしばらく休んだが、どうしても出かけられる力が出てこない。
夫が心配して「具合悪くなるなら意味がないよ。食べて元気を出したって別に敗北ってわけじゃないんだし」と言う。
私がやっとの思いで回しておいた洗濯機の中身を干そうにも力がでない。庭に面した窓から、夫と息子がふたりで仲良く洗濯物を干している姿を見ていたら、好きでやってるファスティングでみんなに迷惑かけてるのはアホだ、「食べよう」と思えた。
そこで、卵一個分弱の量のご飯をお粥にして、ゆっくりゆっくり食べた。家族と散歩に行きたかったのだ。
そんな私の土曜日は、それでもやっぱり最後まで外に出かけられずに終わってしまった。あちゃ~
今、去年スギナを干して作ったお茶を飲んでいる。
明日の朝は動かないでも飲めるように、水のボトルをベッドサイドテーブルに載せた。
今日の考察だが、25歳の息子と自分を一緒にしちゃいけないということを学んだ。 お粥を食べた時点でリタイアか、と思ったのだったが、全然許すことにした。何しろいつも一番つらい二日目を終えたのだ。
明日は、爽やかに起きられるような気しかしない。