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#264 父と私③ レビー小体型認知症



今日は父の現在について書こうと思う。


物忘れが始まった頃の母とは比べ物にならないくらいしっかり見えた父だったが、今にして思えば、父にだけ摩訶不思議な世界が見えていた。
グレイゾーンな日々も続いたが、父と母はきっと同時期から違った形で認知症の兆しがあったのだ。
今では二人とも晴れて認知症の太鼓判を押され、月に二回看護師さん達の訪問を受けている。


私は今、週に一、二度一時間程、国際電話で両親と話す。

以前は父とは電話で会話にならなかった。それは、私の言うことが耳の遠い父に聞こえないからだった。ところが、今はどうだろう‥‥

少し説明になるのだが‥‥
私の父はその生い立ちによるものだが、人との親密な関わりを上手く持てず、一対一では相手の目を見て話すこともままならない人だった。ところが相手が複数の『聴衆』になったとたん、立て板に水のごとく言葉が流れる。
昔からマイクを持つ父の選挙演説も冠婚葬祭のスピーチも聴いてきた。その間の取り方といい、抑揚の付け方といい、彼の右に出る人はいなかった。

父のいつもの方言が消えて、聞いたこともない標準語で話し出した時は何事かと思った。まるで原稿を読むかのように話し続け、黙っていれば一時間話していることもある。
父は私へ、というより受話器に向かって演説をしていたのだ。だからこれほど気持ち良さそうだったのだ。
若い頃の恋愛話、母と出会った話、人生の大きなチャンスがあったのに自分の健康状態と家族のことを考えたこと、チャンスを掴めなかった悔い等々、父の演説は止まらない‥‥


昨日は、母に聞こえると悪いから…と受話器をトイレまで持って行って私にこっそりこう告げた。
「今一緒にいるあの子はどうも長い月日連れ添ったワシの女房じゃない疑いを捨てきれん」
父にはここ半年ほどの間、この疑問と混乱がずっと付き纏ってきた。
電話するたびに「いろいろわからなくなったがもう大丈夫。この女房で間違いないという結論だ」と自分に言い聞かせるように決意表明をするのだ。

ところが今日の話だと、またその判断が揺らいでいるようだ。
なんでも、父のところに6人くらいの「私こそがあなたの妻だ」と名乗る女性が次々と現れるので、順番に30分ずつ質問して誰が本当の妻かを判定したのだそうだ。
夜眠れず、横で眠る母の顔を何時間も見入ったと言う。
「どう見ても、どうしても我が女房とは思えん」と困惑を私に打ち明けた。


父には最近になってレビー小体型認知症という診断がついた。
実際にないものが見える『幻視』はひとつの特徴であり、実際見ている人の顔が違う顔に見えていたりしているようでもある。
父が今どんな世界を見ているのか、未知な部分がたくさんあるけれど、穏やかな気質であるのが大きな救いだ。

母は、今さっきのことも覚えていられず、だんだん自分が壊れていくと感じているところへ「おまえは本当にワシの女房なのか?」と問われる。
父の中の困惑した世界に連れ込まれ、ますます自分がおかしくなったのかと泣きたくもなるだろう。

どちらも可哀想で本当にいたたまれない。



3回に渡り父のことを書いてきた。

父は私をただの娘でなく『世界で一人しかいない大事な』(娘)と、枕詞付きで呼んでくれる。
遠くで会いたくてもなかなか会えないことが、きっとこの特別感を作るのだろう。
側にいて家族の役に立てていないのだから、私はどうしたって、ただの『いいとこ取り』でしかないのだ。

それが、ただただ、心苦しい。



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コノエミズ
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