【4才】小説#1/みずいろの作り方

 4さい


 くまぐみさん、それがぼくのさいしょのきおく。1998年、2月7日に生まれた僕の名前は、当時流行っていたアイドルから取られた。その人の名前と、聖花? 聖華? と云う名前と二択だったらしい。父親が単身赴任していたので、4歳になるまで母親と一軒家に二人暮らししていた。田舎にある高原の一番上に近いところだった、どうして僕がそこに住むことになったのかを辿れば、サイパンでの戦争から生きて帰ってきた僕の竜太郎おじいちゃんと父親との関係性まで遡る。
 父親は四兄弟の一番下で、おばあちゃんやおじいちゃんから可愛がられていたらしい。生まれつき身体が弱く、移植手術もしていた父親は、体調の所為で高校を一度落第してから卒業している。それから就職して、職場で僕の母親と出会い上司と部下の関係性で結婚し、家を買うときに竜太郎おじいちゃんが持っていた土地を父親にあげたのだそうだ。要らないって言ってるのに、やるって言うから、(おじいちゃんが)持っている土地で一番安い土地をもらった、と生前父親は言っていた。
 僕も幼い頃は病気がちで喘息持ちだったらしい、その頃の僕の記憶は無い、4歳になって、くま組さんに入るまでの物心がついてからの記憶が無い、保育園に入るまでの記憶が欠落しているのだ。きっと、何かつらいことがあったんだろうなと思っている。微かに覚えているのは、和室の畳の四隅に嵌められた丸くて平たいカラフルな飾り? を眺めていたことだ。未だにあれは何だったのか、何という名前だったのかわからない、それ以来どこでも見かけたことがないから。
 画鋲のように畳の縁に刺すものだったのかもしれない、それか、父方の糸おばあちゃんの方の趣味で、飾りとして畳に施されていた細工だったのかもしれない。実際、糸おばあちゃんの刺繍細工の趣味で作られた紫の布地に蛍光色の模様の布団カバーには、更に白のレースの布団カバーが付いていた。その布団カバーを付けたダブルベッドは、僕らが家を出る十八年間ずっと変わらずに存在していた。
 そのカラフルな畳の細工の記憶と、そして第二の記憶は、和室の押し入れの上の段に座っている僕が既に居て、逆光で暗い母親の影が、押し入れの襖を閉める瞬間の光景だった。それは畳の件と同様に僕が4歳になる前の出来事で、覚えている唯一の光景だった。
 畳の件は光景と云うよりかは一種の断片的な、写真のような記憶だった。押し入れの記憶は、映像記憶で、母親が襖を閉める映像を覚えている、そのときの感情も朧げにセットで記憶している。恐怖や、悲しみに似た感情だったと思う、多分、これが恐怖だとかこれが悲しみだとか、そう云う認識も当時の僕には無かったのだけれども、現存する僕の中に残っている感情の中のどれに近いかと言われれば、それは恐怖と悲しみだった。
 その時の母親は笑っていたのも覚えている、母親の口が笑っていて、笑い声が聞こえていて、襖が閉められた途端、それが止んだのだ。真っ暗な、黒一色の中に閉じ込められてしまった僕は、泣いた気がする。泣いた気がすると云うだけで、実際泣いたかどうかは覚えていない、兎に角、その押し入れの上の段に僕がいて母親が襖を笑いながら閉めた、と云う出来事が僕の中にある最初の記憶だと思う。
 だけれども、これは物心がつく前の4歳前の記憶であるから、自分でも事実かどうかの確証が無い。もし事実であったとすれば、僕は4歳前に母親にいじめられていたことになる、そんな筈は無い、僕の中の僕のイメージでは、小学校高学年までは愛されていて順風満帆な人生を歩んでいた、よろずのものに祝福された未来の明るい、イージーモードの人生だった筈だ。
 きっとアレはかくれんぼをしていただけなのだ、もしかしたら、押し入れの上の段に隠れていた僕を、母親が発見した光景だったのかもしれない。4歳前の子供が自力で押し入れの上の段に登れるのかと云うことは甚だ疑問ではあるが、僕の生まれて初めての記憶ははくま組さんなのだ。それは誰がなんと言おうと変わらない、僕が決めた僕の最初の記憶。

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