エピソード1|精神主義
時々、人々や街並みが酷くゆっくりと流れているように感じる。
車の中で、窓の外の景色を見る助手席の老人の視線や、駐車場から出て来ようとするトラックの運転手の顔の動きが、スローモーションで自転車を漕ぐ僕の網膜に張り付く。
今日は運が悪い日だ、と思う。こう云う日は、きっと右腕のブレスレッドが無かったら事故に遭っていると思う。歩道の工事をしていて、ショベルカーの真横を通った、倒れて来たら死んじゃうなと思った。図書館でがんの仕組みの模型が展示されていて、このタイミングで聞きたくないと思った。席が確保出来たからパソコンで作業しようと思って行ったのに、学習室が満員できっとキーボードのタップ音が五月蝿くて迷惑になるなと思って帰って来た。帰り際、一人になりたくてテラスに出たら移動販売車が幾つも停まっていて、友達が入院していなかったら一緒に買い食い出来たのになと思った。テラスに座って五分も経たずに掃除機を抱えた中年の女性がやって来て、無言で掃除機を掛けようとしてきたので、退散した。居場所がないな、と感じた。居場所がある人達が羨ましかった。
唯、自転車を漕いで悪い汗をかいただけだった、本当に運が悪い。こんなことなら、ベッドの中でカラマーゾフの兄弟の続きを読んでいればよかった、自室の椅子やヨギボーに座って、デスクの上か膝に乗せるクッション付きのテーブルの上で執筆作業をしていればよかったのだ。バルザックは一日十八時間小説を書いていたらしい、意味もなく自転車を漕ぎ回った時間が、自転車の鍵を無くして自転車庫から二階にある自宅まで探しに帰った時間が、唯々恨めしい。
純文学小説を書く練習の代わりにこれを書いているが、コンタクトの度が合っていないのかもしれない、度々誤字脱字が目立つ、普段はブルーライトに触れるときは眼鏡をしているのだが、それを図書館に行く用に準備したリュックから、取り出すのさえ面倒くさい。
そうして先刻のことを思い出す、擦れ違う人々や街並みが酷くゆっくりと流れること、擦れ違う人々が有機物だとは思えないこと、なので敬意が全く払えないこと、全て僕の悪い癖だ。僕が幽霊なのか、はたまた、僕以外の人間が幽霊なのか、この人達にも僕と同じように心があるとか魂があるとかそう云う風に思えない。想像力の欠落。僕と同じ匂いのする人間は擦れ違う人の中には殆ど存在しない、精神が主体で生きているか、肉体が主体で生きているかの違いなのだろうか。心を許して、ようやくコミュニケーションを取れるようになった人達も、矢張り同じ感覚を覚える。僕とは違う世界で生きてる人達、肌の色も話す言語も同じだけれど僕だけ違う人種のような、そんな感覚。
時々、普段は肉体主体で生きていながら、精神主体のところまで周波数を合わせてくれる人がいる、そう云う人は僕にとっては天使と云うか、神様と云うか、敬意を払いたくなる存在になる。その人達には、ちゃんと心や魂があるのを体感的に捉えることが出来る、ちゃんと有機物で、ちゃんと喜んだり悲しんだり悩んだりする僕と同じ存在なのだと実感する。
早い話、僕が肉体を主体にすればいいのだけれど、肉体主体で生きると精神である自分が無くなるから自我の抑制が効かなくなり、壊れた人形のような人間になる。どうも僕は肉体を主体にした人がああ云う風に至極真っ当に生きられるのかが不思議でならない、小さい頃からの教育の賜物なのだろうか? 僕だけが通り抜けられてしまった試験が、しなくて済んだ宿題が、もしかしたら十代の頃に存在したのかもしれない。ここにいる肉体の僕は本当の僕じゃなくて、僕の真下に伸びる影法師の方が、僕の精神を表しているように思えてならない、だから肉体を介しての交流はちょっぴり苦手だ。
これは掘り進めなくてもいい問題だと思う、今まで精神主体で生きてきた人間が、明日から肉体主体で生きるなんて出来ないと思っているし、僕は肉体主体で生きる為にすっかり別人になるのは御免だからだ。精神主体の僕でも生きていけるような生存戦略を、僕は考えれば、見つけていけばいいだけだと思う。こうなってしまったのなら、それを受け入れて、現在の自分で生き易い方法を探すだけだ。唯、今日は運が悪かったから蓋をしていた、世界の見たくない部分まで見えてしまった、僕が虚無感を覚えるような車内の人々の顔ぶれ、それが張り付いた網膜だって、目を閉じて違うことを空想すれば消えて無くなってくれる。僕の居場所は、目を閉じた中の僕の世界に在るのだから悲しむ必要は無い、狭い部屋だって、壁を無くせば唯の荒野なのだ。コンクリートが何故か存在するだけで、そんなもの無くしてしまえば青空の下に皆いるのだ。その荒野で双眼鏡を手に持てばきっと見知った顔に出会う、だから僕は部屋に一人きりでも孤独ではない、一人ぼっちでは、決してない。そう云うことを考えて、これ以上考え過ぎるなと自分にストップを掛ける、昔は朝までずっと考えていた。思考遊びがやめられなかったのだ、今はもう可愛いものだと思う。
さぁ、コンタクトを外して顔を洗って眼鏡を掛けてカラマーゾフの兄弟を読もう。高校生の頃、登下校中に何度も聴いた曲の歌詞にある「イワンのばか」の意味が早く知りたい。そしてずっと詳しく勉強したかった、哲学と宗教の関係についての本、哲学と宗教の全史(古本屋で見付けてペラペラ読んで棚に返した)もネットより安く買えそうなので明日また古本屋に行って買って読みたい。哲学の絶対者の神が、キリスト教の神と同一だと考えられるようになった経緯が詳しく知りたい、ここ数ヶ月、毎日僕の頭の中を駆け巡っていたこの最近の僕の生活と関係の無い悩み。トマスアクィナスの神学大全にまで手を伸ばそうとしてしまった、手を出せばきっと小説が疎かになると思いずっと躊躇していた、まずはカントの三批判書で自由意志についてちゃんと知るべきだと思う、と思っていたら口腔外科の選定医療費でカントを買う為のお金(おばあちゃんが誕生日プレゼントのお返しにくれたお金)を使ってしまったので、予定が狂った。先に福音書を読むことにして、ふと手を伸ばしたカラマーゾフの兄弟が面白過ぎたのでそちらを優先してしまっている、と云うのが現状だ。三日目で一巻が読破出来そうだ、2578字書いた、こうやって文章を書く練習も続けていこうと思う。