【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#118
22 江華島事件(1)
「まさか、あの御仁が陸奥くんまで巻き込んで、このような企てをしようとは」
木戸が怒っていた。
「ですが、われらも、板垣側の条件の卿・参議の分離の道筋が描けておらんでは」
馨はなだめようとしていた。
「だからと言って、元老院の機能を、賛成なくば法の成立は認められぬと勝手な拡張をするなど。性急なことをしても、誰もついてはこれんだろう。皆の理解を得られずして、孤立して何ができる」
「とにかく、わしが板垣に話をつけてきます。少しでもおとなしくしていただく」
板垣が何かを起こすと、馨は木戸と板垣の間で走り回っていた。それが何回か続くと、だんだん傾向がわかってきた。馨が説明すると一応は納得するものの、議院や集会で気分を盛り上げられると、過激な論理になびいて強く出ることで注目浴びることに喜びを感じるらしい。ずいぶん気分に左右される人柄だということだ。
また同時に尾去沢鉱山についての裁判も始まっていた。最初考えられていた、贈収賄事件ではなく、大蔵省が差押・接収したことの不当性が問題になっているようだった。実際、鉱山を私物化したわけではないし、払下げの許可を出したのは工部省だ。口利きぐらい誰もがやっている。それで、ここまで大きな問題にされるとは、よほどいろいろな人に憎まれているとしか思えなかった。
そういえば、木戸さんが自分を推挙しようと動くと、しばらくすると召喚状が届くなと思うこともあった。会社の清算も準備をしてほしいと言われつつ、何も進展しない状態にも疲れてきた。こんな宙ぶらりんな状態がいつまで続くのだろうか。山口に引きこもれたらどんなに楽だろう。
馨のそんな気分を察してか、木戸の気遣いの様々な事が、一層馨の気持ちを落ち込ませていた。
「木戸さん、お招きありがとうございます」
「これはなかなか良い色合いの香炉じゃ。この掛軸の書もええなぁ。心が穏やかになる」
「これは、煎茶席だが。どうじゃ、一服」
「ほう、煎茶ですか。これも気楽でええもんじゃ。ほう、まろやかでとても上手い。煎茶も丁寧にいれれば、こねに美味いものだったのじゃな」
「すまんな。官職の復帰をさせるといってもうまく行かず。会社の清算も考えてほしいと言ってそちらも宙ぶらりんじゃ。裁判も思うように進んでおらん。裁判は山田が言うのには司法省として、うてることは限られているようじゃ」
「もう、気にしていただかなくてもええです。なるようにしかならんだろうし。一応俊輔にも大隈にも助力はお願いしております。幸い会社は儲かっとるし、官職に戻らずともやっていけるんじゃ」
「そうは言っても…」
「今日はこれで帰ります。今日は良いものを得られました」
馨は木戸の家を出ると、思わずため息をついた。
朝鮮半島で、事件が起きていた。日本と朝鮮の交渉は征韓論の頃から進展していなかった。そのため、朝鮮側を刺激しようとして、木造の砲艦の「第二丁卯」と「雲揚」を送り、朝鮮半島の東海岸の偵察と測量を行わせていた。そのうちの「雲揚」が江華島に近づき、短艇を降ろし江華島に接近上陸を試みたところ、砲台が砲撃をしてきた。「雲揚」は報復としてその砲台を破壊し、済物浦の対岸の永宗島に向かい守備官衛を占拠・焼き討ちをして、長崎に帰港したというものだった。江華島事件とよばれることになる。