【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#91
19 予算紛議(1)
銀行が渋沢たちの尽力で形になった。三井組と小野組による合本での第一国立銀行は、それぞれの利害を越えさせ、渋沢の意図通り設立された。本店とした建物は三井組が建設したものを買い上げていた。こうやって、考えていたことが一つ、また一つと形になるのは喜ばしいことだと思えた。
ある日大蔵省は、江藤が率いる司法省の建議に対して、正院から下問を受けていた。
「井上さん、よろしいでしょうか」
内局の佐伯が入ってきた。
「どうした」
「正院から回ってきた文書なのですが」
佐伯は一綴の書類を手渡した。
「年季奉公人に関して問題があるということです。特に角兵衛獅子や娼妓について、人としての保護がされていないことで、奉公形態を勘案すべきと建議されたようです」
「それがなぜこちらに」
「そもそも司法省が刑法上から、奉公人の問題を正院に伺を立てたところ、娼妓も入っていたため民政からもということで、こちらに送られたのです」
「そうか、ひとまずわしが預かる」
「それでは失礼します」
佐伯が出ていった。
置いていった下問書を手にとって読んだ。
「『惣して各民をしてその自由自主の権を保たしめず牛馬に均しく抑制苦役せらるる者』とはの。永年季奉公人、娼妓などとのことと言えこれは…」思わず苦笑をしていた。
「さんざん遊んだ身で保護について考えるとは、因果なものじゃ」
身売り、借財、労働、給金、境遇、そのどれも問題をはらんでいるのは明らかだった。「身売り」とは文字通り人身売買の形態と考えられる。しかも対象となる娼妓には己の意思を表すことはできない。こういった形の人身売買について、現行の刑法はどこまで及ぼすことができるのだろうか。
「内局の佐伯をこちらに」
使いをやり呼びにいかせた。
「さっきの正院からの下問じゃが。人身売買に関する法律に関する資料がほしいの。そうじゃ、公儀の遊郭の管理の仕組みの資料もじゃ。そのうえで使用者との契約を用いた仕組みづくりの提案書を頼む」
「はい、わかりました」
「本当か」
思わず馨は佐伯を疑り深く見て、笑ってみせた。
「まず、人身売買に関する法律の資料をお届けします。遊郭の管理の仕組みは少しお待ち下さい。娼妓との契約、管理の仕組みはすぐに検討に入ります」
「おう、頼んだぞ」
胸を張って出ていく、佐伯の後ろ姿をみて、馨はくすくす笑っていた。
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