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【#1】ブルームーン/短編小説

   夕方六時頃に精神科のクリニックでの診察を終えた僕は、エレベーターを待っている間、このビルの五階から見える京都の退勤ラッシュの人混みを見下ろしていた。

 そうして僕の頭に浮かんだのは、ナチスドイツのことだった。きっとあの時代あの場所に生まれていたら、T4作戦によって真っ先に殺されていただろうなと云う思考だった。狭いエレベーターから降りると、その足で目の前にあるブックオフに寄った。松本人志の「遺書」が大量に並べられていて、その横に中島義道の文庫本が数冊とその横には夜回り先生の本が置いてあった。

 夜回り先生は、保健室登校も拒否して学校内の使われていない来賓用の洋室と和室を一人で占拠して立て籠っていた時期に、携帯とウォークマンとヘッドホンしか持って来ていない僕の話し相手になってくれた人だった。夜回り先生の授業が受けたくて、彼が講師をしている大学を部活の推薦の関係もあって第一志望にしていた。

 ジャンル分けが苦手な店員さんの居るブックオフで、僕は漸く、目当てのものを見つけた。


 「ヒトラーのわが闘争」だ。


 「これからの正義の話をしよう」の隣に置いてあった、これに就いては店員さんのユーモアのセンスに思わず心の中で拍手をした。「ヒトラーの闘争」を買おうとすると、お金が足りなかった。僕は田舎から出奔してきた苦学生だったので、毎週の精神科の帰りには財布の中には数百円しか残っていなかった。仕方なく手ぶらでブックオフを出て、その横のアイリッシュバーに行った。

 高校を卒業して、京都に出て来てから行きつけのバーだった。外国の種類豊富なカクテルが飲める、観光客の外国人達が集まる穴場スポットだった。バーテンダーさん以外日本人が居ない空間が何よりも僕を孤独にしてくれるので好きだった。

 今日はブルームーンの気分だったので、それを注文してその場で支払いを済ませ受け取って、カウンター席に座った。鞄から、アパートから持って来ていた最果タヒの「夜空はいつでも最高密度の青色だ」を取り出して、ブルームーンを片手にその中原中也大賞作家の詩集を読んだ。ひたひたと僕の胸に絶望がブルームーンのアルコールに乗ってやって来るのを、僕はその味と共に噛み締めた。僕からとても遠い人だ、最果タヒと云う詩人は……。

 僕は未払いの電気代料金のこととか、先の見えない精神科治療のこととか、この儘だと確実に退学になる専門学校とその学費のことを考えていた。安定した生活の上に芸術が成り立つと云うことを僕はここ数ヶ月で思い知った。芸術家になるには、作品を書くにはある程度の精神的・経済的余裕が要る。明日の朝ごはんのお金が無いとコンビニのATMに駆け込んだり、電気が頻繁に止められたりしていた僕には、芸術の道は程遠く、それは絶望的観念を伴っていた。世に出た作品を、認められている作品に触れることは僕にとっては心の自傷行為と同義だった。

 ——ブルームーンのグラスが空になり、僕はアルコールが入って勢い良く飛び交う異国の言葉達に耳をそば立たせながら、詩集を掴んで鞄に仕舞い、バーを出た。カランコロンと音が鳴り、外に出ると京都の鴨川から吹く、生温い風が、夜の冷たさを打ち消しながら行き交う人々の熱気と相まって、僕は現実的な感覚を取り戻した。

 ここはナチスドイツでもない、T4作戦も存在しない、僕は、僕の闘争をしないと不可ない。アルコールに強くお酒を飲んでも酔わない僕は、家路へ帰る途中の歩道の人混みに酔い、頭痛がしたので、少し休む為に鴨川の河川敷に座った。夜風に当たりながら、鴨川の水面に映る月を見た、青い月だった。先刻飲んだ、ブルームーンと云う名前のカクテルのことを、僕はぼんやりと思い出していた。

 ——生活をしなければ。

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