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いつでも離婚という選択肢を持っている

今年は結婚・出産して5年になる年だからなのか、よく夫との関係性について考えている。

わたしと夫は大学生からの友人で、クラスもゼミもサークルも同じというもはや腐れ縁だ。

とはいえ、大学時代に一番仲のよかった男友達が夫、ということでもない。

それでも、大学を卒業して、お互いに社会人になったとき、薄く、でも確実に、ずっと関係性が続いていたのは夫だけだった。

そういうことなのだと思う。

28歳のとき、たまたまふたりともパートナーがおらず、本当にたまたま今更ながら意気投合して、付き合いがはじまり、29歳のときに妊娠して、結婚した。

結婚する前だったか、あとだったか記憶は定かではないけれど、お互いの結婚観について話したことがあった。

結婚するにあたってあえてこのテーマについて話し合ったというよりは、夫とわたしは、普段からヘラヘラした顔をして哲学的な問いについて真剣に語ることがよくあるので、その延長線での会話だったと思う。

だから、正直詳細はあまり覚えていないし、記憶力がないことに自信を持っている(?)夫の頭からは、きっと話した記憶はまるごと消えているだろう。

お互いの結婚観について、ヘラヘラした顔で真剣に話していたときに、どちらかがこう言った。

「結婚してだめだったら、離婚すればいいぐらいのスタンスでいたほうがお互いに楽だと思う」

もうどっちが言ったかも覚えていないけれど、どちらかがそう言って、どちらかが賛同したことだけは確かなはずだ。

夫の両親は離婚していて、わたしの両親は離婚はしていないが仲がいいわけではない。まあ、どちらもよくある家庭の在り方だと思う。

わたしたちはそれぞれの家庭で、それなりに豊かに育って、こんな家庭を築きたいという大きな理想があるわけではない。

ただ、互いに無理せず一緒にいて、それでもいつか無理になったら離れたらいい。離れることが不幸なわけではない。

たぶん、そういう共通認識をなんとなく持っている。

こういう土台の考え方が似ているので、助かる場面も多いし、似ていると思って安心しているとやっぱり全然違う人間であることに改めて気がついてびっくりしたりする。

もちろんケンカをすることもあるし、「どうしようもないな」と諦めたり妥協したりする部分も互いにある。

ホルモンバランスが崩れていると、「クソやろう!」という気持ちが収まりきらず、その熱量のまま「もうこのままいったら離婚じゃ!」と叫びたくなるときもなくはない(双子妊娠初期はおそらく互いに離婚をうっすら考えていたはずだ)。

ただ、そういうときにいつも、ヘラヘラ話したあの会話を思い出す。

「結婚してだめだったら、離婚すればいいぐらいのスタンスでいたほうがお互いに楽だと思う」

そう、わたしたちはおそらく「絶対に離婚したくない」みたいな頑なな心を持ち合わせてはいない。どうしてもだめだったときには、お互いのために離れることも全然視野に入っている。

無理なら離婚すればいい。そう考えると「いや、離婚する前にまだやれることがあるな」といつも思う。

離婚は、わたしたちにはまだまだ早すぎる。全然互いにやれることがある。離婚はそれを全部やり切ってからでいい。

ちなみに、現状は全く離婚する気はない。結構仲良しだと思うし、まだまだ諦めずに互いに寄り添う努力をできている(はずだ)。

いつかこうやって、ふたりでぐるぐる回る日々を続けることができなくなったときに、終わりがくるのかもしれない。

そのときがきたら、それはそれで仕方ない。

でも、その日が来ないために、できるだけこの日々が長く続くように、互いにできることはまだまだ残されている。そう思う。

いつでも離婚できると思っていると、離婚までにできる努力がまだまだあることに気づく。

もっとシンプルに「大好きで、ずっと一緒にいたいから、互いに努力したい」とストレートに言えたら楽なのかもしれないけれど。

はじめから、そういうかわいいふたりではなかった気もするから、天邪鬼的だけれど、わたしたちはきっとこれからもこうして、離婚という選択肢を抱えながら、ふたりで歩んでいくのだと思う。


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きよみや みずほ(mizuho)
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