結婚5年目。夫との関係性を再構築した話
2017年に夫と交際をはじめ、2018年に同棲を開始。2019年に結婚・双子の妊娠。2024年で結婚5周年を迎えたわけですが、夫との結婚生活は双子の育児期間と同時並行で行われていくことになったので、それなりに大変でした。
これまでもごちゃごちゃと夫との関係性について勝手に書いてきたけれど、ここ数ヶ月で結構気持ちが切り替わったのでここに記します。
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そもそも大学1年からの同級生である夫に、28歳で(え、もしかして夫氏ってわたしにとって最高のパートナーでは……!と急に気づき)改めて恋をして、付き合ってからずっと同棲したいと言い続け、同棲してからは毎日結婚しようと言い続け(笑)。
それがきっかけでいまがあるわたしたちは、圧倒的にわたしのほうが想いが強い状態で2年ほどを過ごしてきました。
そう本気で思っていたのです。
でも、予想より妊娠(しかも双子)というのが、わたしの身体や心にはきつい体験で。水を飲んでも吐いてしまうぐらい悪阻がひどくなっていた状況の中、夫がいつも通りお酒を飲んで呑気に鼻歌を歌いながら帰宅したときに、一気に全てが崩れ去っていったのでした。
というか、わたしが崩しにかかったと言っていい。その日から、夫に対してちょっとでもイラつくことがあるとペットボトルやらティッシュ箱やら、とにかく手元にある固いものならなんでも夫に投げつけるようになったのだから。
あんなに大好きで、この人と一緒にいれるだけで幸せだと思っていたのに。人間の気持ちってこんなに簡単に変わってしまうのだなと怖くなります。
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身体がきついというのもあるけれど、夫にイラだつ日々が心の底からストレスになり、出産の3-4ヶ月前から実家に里帰りをし、別居生活をすることになりました。
実家はノンストレスで安心して快適に過ごせる環境があったから、悪阻もだいぶ落ち着いて、夫と距離ができたことで心も平穏を取り戻す。
と、そんなにうまいこといくわけもなく。
実家の環境がよすぎるあまり、悪阻は落ち着いたけれど、夫のイヤなところはさらに際立って見える。一緒にいる時間なんて本当に短いのに、その時間のイライラが止まらないのでした。
いま思い返すと、夫も夫なりに別居生活の中で頑張って寄り添ってくれていたと思います。
フルタイムで残業もある仕事をしている中、ひとりで荷造りして実家の近くに越してきてくれたり、週末は会いにきて話を聞こうとしてくれていた。なによりわたしが怒り心頭でそれを一ミリも隠さず夫にぶつけまくる中、夫はそれに対して怒りをぶつけ返してきたことは一度もなかった。
どんなに長文のイラつきマックスLINEを送りつけても、しっかりと全文読んで、自分が悪いと思うところは直そうと努力してくれていた。本当にすごい人だ。
でも、当時のわたしはそれに全然感謝ができなかったんですよね。
夫なりに変わろうとしてくれていることは理解していたけれど、わたしは変わりたいと願ったわけではないのにこんなにも変わってしまったし、これからもきっと変わっていく。
どうしようもないその差に、どうしてもついていけなかったのだと思います。
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最初は「育休は取れないかもしれない。取れても1週間」と言っていた夫も、わたしがとにかくキレ散らかすので、出産してから4ヶ月後から約4ヶ月の育休を取ることを決意し、着々とその日が近づいていました。
日々はおむつ替えとミルクのコンボであっという間に過ぎ去る中、わたしと夫の関係性は平行線どころかどんどん離れていっていて、わたしと母のチームプレーはどんどん理想の状態に仕上がっていく。なんてことでしょう。
家に帰りたくない。夫とふたりで育児をしたくない。
自分だけが育児をしているのはイヤだし、夫と子どもの関係性を小さい頃からちゃんと積み上げてほしいと心から思いながら、もうわたしひとりでやらせてくれとも本気で思っていました。
それでもときはきて、実家を出て家族4人での生活がなんとかスタートすることに。
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双子を生かすためには、ふたりで協力しなくてはいけないので夫が育休期間はケンカ(というかわたしが勝手にキレ散らかすだけ)もたくさんしたけれど、それなりに過ごしていきます。
4ヶ月も双子と一緒にいれば、夫にも「双子を育てるということ」が実体験として降りかかってくるので、元々生活力もあり子煩悩な夫は、もうわたしが死んでも大丈夫だというほどのパパに変貌をとげた。
子どもも成長してできることが増えていきます。少しずつ会話ができるようになるというタイミングで育児は思いのほか楽になりました(違った大変さが生まれるけども)。
よって、その頃には爆ギレモードもだいぶおさまってきたわけですが、夫への気持ちは恋愛モードだったころとは全く違うものになっていました。いいチームだとは思うけれど。
結婚と恋愛って違うというけれど、こういう感じなのか、と妙に納得して。あの頃のように夫のことを好きだと思うわたしはもういないのかーと勝手に悟って。
夫婦仲良く老後も過ごすというイメージを身近でみたことがあまりなく育ったし、いまいちそのやり方を知らないから、わたしにはできないのかもと諦めたり。
わたしは自分の心の変化を夫には共有することなく、自分の中だけで消化していきました。
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そうやって勝手に消化して、夫との関係性を双子が生まれたあとのふたりで固定したまま過ごしていたら、夫がどんどん萎んでいくのがわかった。
それをみながら、こんな夫見ているの全然幸せじゃないなって思ったし、夫婦仲良く老後も過ごすやり方がわかんないとか、恋愛と結婚は違うとか、そういう言い訳を繰り返して、夫との関係性が徐々に希薄になっていくのも、やっぱり全然幸せではない。
夫は双子が生まれて育児ができるようになった。そういう意味では変わったけれど、それ以外は良くも悪くも全く変わっていない。わたしが結婚したいと毎日言い続けたあの人なのでした。
わたしが勝手に、変わってしまった。双子が生まれて体調を崩して、目を離すとすぐに死んでしまうような生物を毎日育てる戦いをする中で、どんどん鎧を着て武装して、ひとりでも生きられるような顔をして。
そうやって、ゴリ押しして掴んだ幸せを自分で壊している。バカすぎる。
自分のバカさには気がついているんだけれど、どうやって関係性を紡ぎなおせばいいのか正直全くわからなくて。ずっと夫と向き合いたいのに向き合えないと悶々としていたのでした。
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子どもがもうすぐ5歳になるというタイミングで、育児は大幅に楽になり、わたしの仕事が少し落ち着き、夫も転職先で成果がではじめて、なんか人生が全体的に心地よさを取り戻す中で余裕が生まれて。
そのタイミングでわたしは夫の前で思いっきり泣いた。これでもかというぐらい泣いた。
これまでも、夫の前では意味わからず泣いてしまうことがあったけれど、今回の理由はわかっていました。
嫌いじゃないのに好きでもないみたいな感じで、このまま関係性がなあなあになって、一緒にいなくてもいいよねという未来が来るのが怖い。依存関係をつくりたいわけではないけれど、一緒にいたほうが楽しいよねと言い合えるふたりでいたいのに、このままではきっとできない。
そういうのが怖くて仕方なくて、ボロボロと泣いた。
「夫婦仲良く老後も過ごす」までの道のりをきれいに描いていきたかったけれど、やっぱりわたしにはそのやり方がわからなくて、徐々に関係性を修復していくみたいな計画的なこともできなくて。
大袈裟に泣いて受け止めてもらうってことしかできなかったのだけれど、夫はそれを全部受け止められる人だった。
だから、好きになったのでした。最初からそうすればよかった。
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振り返ると怒っていたのは、ただ寂しかっただけなのだと思う。寂しさをうまく消化できなくて、埋まらないどうにもならない気持ちを怒りとして夫に向けていただけなのだと思います。
よく逃げ出さなかったよね、夫さん。本当にすごい人です。
わたしたちは、というかわたしは、この日を境にあの頃のわたしに戻ることにした。
もう一緒に住んでいるし結婚もしているから、これ以上「〇〇しよう!」とせがむ項目がないので、「共に生きよう」とこれからは言い続けるのだと思います。
笑って、泣いて、共に生きよう。それができたら、わたしは幸せです。
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