握手は絶滅しちゃうんだろうか『人はなぜ握手をするのか』
人は、マスクなしの生活に戻れるのだろうか…なんて悲観的な事を言っていたのが20年のこと。日本国内は相変わらずマスク生活だけれど、世界に目を転じてみれば「マスク、それってなんですか?」という風景が広がっている。
その、マスク話の陰に隠れて目立たないものの、それ以上の絶滅危惧種になっているのが”握手”だろう。あの米国のファウチ博士は以前「今後二度と握手をするべきではないだろう」とまで言っていたらしい。
この本は、そんな絶滅の危機に瀕した握手の歴史、文化、そして意義を様々な分野の知見を取り入れつつ論じたものだ。
”握手”とひと言で言っても、今、われわれ日本人がイメージし、世界的にも通用する握手は長い文化の中で生き残ってきた一形態のものでしかない。
生き残ってこなかった握手のようなもの。実態としては各文化で親愛の情を示すもの。には様々な形がある、あった事が紹介されている。
著者はそれらを「失われた握手」として紹介しているのだが、それだけで1冊の本が書けるというくらい様々な形があるのだそう。それこそ”頭からつま先まで全身に尿を浴びせかけられる儀式から、お尻をさらけ出す挨拶”まで信じられないようなものが列挙されるらしい。
ここの項はめちゃくちゃ面白かったのだが、結局、多くの人と交流するためには手の込んだ握手をやっているわけにいかず、政治的主導権を握った国の事情と馴染みのあるカタチの方に選別されてきた、ということなのだ。
歴史上消えていった言語が多くある事は広く知られているが、握手、というか親愛の情を表すジェスチャーにも同じ事が言える。
そんな握手ではあるが、カタチはさておき歴史は古い。一説には中世の騎士道精神が起源だというものがあるようだが、著者いわくそこには矛盾があり、人間のDNAに深く刻み込まれたものだという。
コロナ禍により絶滅に瀕した握手は新たな進化をしていくのだろうか。「非接触の握手」の筆頭にあるのが日本のお辞儀文化なのだそうだ。日本式挨拶は敬意を示すものとして子どももしっかり教えられる、と言ったことが書かれている。日本製のロボットもお辞儀をするとも書いてある…
なるほど。
本の最後ではアフターコロナの握手形態提案があるのだが、日本式握手はコロナ禍後にぴったり、と書かれている。が、一方で文化との結びつきが強すぎるため世界中に浸透するのは難しいのでは、とのこと。
マスク後の世界ルールがなんとなく見えてきた中、さて、握手はどうなるのか。じっくりと観察していきたい。