旦木瑞穂の七転び八起き
ものづくりが大好きな子
自己紹介をさせていただきます。
1975年7月20日、愛知県生まれ。
旦木は旧姓です。珍しい名字なので覚えてもらいやすく、学生時代の友人知人に気づいてもらいやすいと思い、旧姓で仕事を続けています。
小さい頃から絵を描いたり、ものをつくったり、表現することが大好き。小学生の頃には、絵画コンクールや書道コンクール、創意工夫コンクールや読書感想文コンクールなどで毎年のように入賞していました。
県内唯一の美術科の高校に入学し、国公立の芸大を目指しましたが、短大の国文科に通いながら仮面浪人してまで挑戦するも挫折。
四大の文学部に入学し、中学国語科・社会科の教職と、高校地歴公民の教職を取るも、ものづくりに携わりたい思いが捨て去れず、就職活動に奮闘。ご縁があって、印刷会社のグラフィックデザイナーとして就職します。
名古屋で1年半。その後異動で多治見に1年務め、27歳で結婚。同じ愛知県出身の夫は大学卒業後に東京で働いていたため、半年間別居状態の末、退職して上京。
グラフィックデザイナーとしてデザイン事務所に就職しましたが、徐々に経営不振になり、1年ほどで会社都合退職。
その後、グラフィックデザイナーとして派遣登録して1〜2年ほど働き、「正社員にならないか?」とのお誘いがあり就職。
しかしPMDDの症状が出始め、体調が悪化し、1年ほどで辞職。ほどなくしてハローワークで見つけた就職先に入社しましたが、やはりPMDDの症状のため、1年ほどで辞めることに。
以降、紹介会社の仲介などでグラフィックデザイナーとして働くも、PMDDの症状で断念をせざるを得ない状況となり、33歳の頃、愛知県にいた頃新卒で入社した印刷会社の東京営業所があることを知り、再就職。
2年後に妊娠、東日本大震災を経験し、2011年7月に長女を出産。1年半の育休を経て復職しました。
ところが、復帰したその日に「席がない」「Macがない」「仕事がない」という状況が続き、「それなら自分で仕事を作ってやる!」と思った私はコンペで複数仕事を獲得。「せっかく自分で獲得した仕事なので、自分の力でやり抜きたい!」と思って奮闘するも、1年ほどで体調を崩して休職。ワーキングマザーが私の他にいない職場での勤務継続は難しく、その後退職しました。
書くことと描くこと
大半の広告物は文章も必要です。グラフィックデザイナーだった私ですが、文章を書くことも好きで、多くの会社でグラフィックデザイナー兼コピーライターとして重宝がられていました。
また、最後の会社を退職する半年ほど前から、ネット上でライターの仕事を細々とスタートしていたため、フリーライターとして活動し始めることに何の迷いも障壁もありませんでした。
産経新聞さんの『ニューローズ』での連載を皮切りに、鎌倉新書さんの『月間仏事』での連載を経て、2019年3月、父親を亡くしたことをきっかけに、デイリー新潮さん、東洋経済オンラインさんの『子育てと介護 ダブルケアの現実』などの連載を獲得していき、現代ビジネスオンラインさん、プレジデントオンラインさん、アエラドットさんなどで連載を継続する現在に至ります。
現在も、ライティングの他、グラフィックデザインや、イラストも描いています。
ほかに、2019年9月には、自身のPMDDの経験(継続中)から、「月経前の悩みに寄り添う会」を立ち上げました。現在の会員数は約200人。PMDDに悩む女性だけでなく、医師の参加もあり、PMDDという病気を多くの人に知ってもらうこと、PMDDの悩みを共有できる場を提供することを念頭に、試行錯誤しながら活動しています。
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