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“かわいい“とルッキズムと、嫌悪感

学生時代に所属していたサークルに、一つの文化があった。

“誰かをディスる(馬鹿にする、侮辱する)ことでネタを生み出し、マウントを取る“という文化。

これに関して今思うことは、ただただ下品である、ということ。こういった行動は相手ではなく自分の価値を下げる行為に他ならないと今となってはわかるものの、当時の私たちにとってはこれが日常であり、コミュニケーショの一つの手段だと思い込んでいた。もちろんそれについて何も思わなかったわけでもないし、嫌な思いはたくさんしてきたのだけれど、このもやもやを言語化する術はまだ持っていなかった。

そして、その文化の中の一つとして、ルッキズムが大きく染み付いていた。
サークル同期の男性に、人に対して勝手に顔面偏差値を付ける人がいた。
不快だった。
不快だったけれど、自分の容姿に自信がなかった私は周りから低い評価をされることを恐れていた部分もあったし、自分より“かわいくない”認定をされている人がいることに心底ほっとしていた。
そんな自分もまた、嫌いだった。
自分は自分でいいと思える自分と、周りからの評価を気にしてしまう自分との間で揺れていた。

そんな感じで学生時代はルッキズムと葛藤しながら過ごしたわけだが、ルッキズムという言葉を知ったのも、ここ最近のこと。
外見至上主義、などという言葉は聞いたことがあったけれど。そもそも、他人の容姿や性格等を貶すことは人としてどうかというモラルは自分の中にある程度形成されていたものの、その暗黙のルールのようなものはしっかりとした形に落とし込むことはできていなかったように思う。



そしてルッキズムという概念を知らなかったほんの数年前のこと。
当時付き合っていたパートナーが仲のいい友人二人とそれぞれの彼女を誘って開いた飲み会に、呼ばれたことがあった。そこで自分があんなに蔑まれることになるとは、思いもしなかった。
私はその飲み会を“彼女品評会”と呼んでいる。

仕事で少し遅れてお店に着いてまもなく、居心地の悪い空間であることはなんとなくわかった。
Aさんは背が高く、綺麗でセクシーな顔立ちや格好をした女性だった。また、Bさんは目が大きくて可愛らしく、いかにもアイドルに居そうな顔立ちをした女性だった。でもそれはあくまでも私個人の主観であり、私に彼女らを評価する権利などどこにもないのだけれど、自分に対して多少なりともみすぼらしさと引け目を感じてはいた。感じてはいたけれど、はっきりとそれを口にする人はいなかったし、自分も別にそこまで気にしていなかった。

はずだった。

飲み会の中盤から、AさんがBさんのことを延々と「Bちゃんかわいい!」と言い続けたのだ。

以上。
それ以外の会話は正直何も覚えていない。それくらいBさんへの容姿賞賛が飽きるほど続き、内容の薄〜い飲み会だったように思う。逆にそれ以外、何話したっけ?なんか有意義な話とかしたっけ?くらいの感じである。

ここで、容姿について言及することのモラルの低さを改めて痛感した記事を紹介したい。


私が思っていたことはまさにこれだ、と思った。

Bさんに「かわいい」と言うことはつまり、その場にいるもう一人の女性である私に「かわいくない」と暗に言っていることに他ならないのだ。私は今まで、他人の容姿への評価を口にすることはなるべく避けてきたし、それを快く思わない人がいることも自分ではわかっていたつもりだったので、ここまであからさまに言葉にする女性を目の前にして、同じ女性としてとても驚いたのもあった。

私がここまでショックに感じたのは、あの飲み会が全くと言っていいほど楽しくなく、忘れられないほど嫌な思い出になってしまったのは一体なぜなんだろうと、ずっともやもやしていたのだけれど。
今まで、学生時代のサークルでは誰かが誰かの容姿を貶す場面にもたくさん出会ってきたし、合コン等の出会いの場に参加する度に男性たちから誰々がかわいいと言われる場面にも幾度となく出会ってきたはずなのだけれど。
今振り返ってみると、あの時の嫌悪感は、ただただ不快で忘れられないものであった。

Aさんは、ただひたすらに自分の容姿に自信がなかったのかもしれない。とにかく“かわいい”Bさんを見て、タガが外れたようにかわいいかわいいと愛でていたのは、自分は少なくともお前(私)よりは女としての魅力があるぞ、というマウント行為だったのだと思う(いや、そうとしか思えない)。誰もAさんの容姿を貶す人なんてあの場にはいなかったのに。そんなことしなくたってあなたは充分美しいのに。彼女とはもう二度と会うこともないけれど、可哀想な人だったな、と今では思う。

誰かに「かわいくない」と言われようが、容姿を貶されようが、別にそんなことはどうだっていい(と、今では思える)。他人に評価されなければいけないものなんて何一つないし、そんなつまらないことで自尊心を傷つけられ自信を失くす必要などどこにもないと、あの時の自分に教えてあげたい。


そしてまた、自分も気をつけなければ、とも思う。
他人の容姿評価を口にすることは、それがたとえどんなに賞賛のつもりでも、その人にとっては貶されたように受け取られたり、周りの人を傷つけてしまっていたりするかもしれない、という意識を今まで以上にするようになったことは、あの飲み会で唯一得られたことかな、と思う。

“イケメン”とか“美女”とか、自分たちの周りにはルッキズムの破片がたくさん転がっていて。そんな私たちにはルッキズムというものが知らずして染み付いてしまっており、何気ない一言で誰かを傷つけてしまっているかもしれない。
現に私は、見た目のことをとやかく言う人ともたくさん出会ってきたし、自分自身も鈍感になり麻痺してしまっていて、無意識に無神経で失礼なことを言い、友達を傷つけてきたと思う。自分では気が付かなくても、きっとそういうことがたくさんある。

そんなことでいちいち、と言う人もいるけれど。

私は、そんなモラルの低い人間には成り下がりたくないなと、改めて思う。
私は“そんなこと”に鈍感になりたくない。
敏感でありたい、と思った。



★私が「ルッキズム」という言葉を知るきっかけとなった記事を併せて載せておきます。面白かったので、気になる方はぜひ。




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