「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」を読んで気づいた、女性の生きづらさについて
数億年ぶりに本一冊を読み終えた。
小学生の頃は本が大好きだった。図書館で一度に借りられる限度の10冊を借りて持ち帰っては、読書に明け暮れていた。
しかし、学生時代を終えてからめっきり読書というものと向き合うことができなくなっていた。読みたいと思う本は溜まっていく一方で、何を読もうとしても、1冊たりとも読み終えることができない自分に、心底うんざりしていた。
読書が趣味の友人にその悩みを打ち明けたところ、「本当は読みたくないんじゃない?」と言われた。その通りだと思った。忙しい毎日に追われていることを口実にしているだけだった。別に本なんか読まなくても、楽しいことがたくさんあったのだ。
そんな中、別の友人からkindleを薦められた。今まで何度も本を読もうとしてきたけれど、続かなかった。媒体を変えてみるものいいかも、と思い、購入した。
kindleで購入した初めての書籍が、小川たまかさんの「『ほとんどない』ことにされている側から見た社会の話を。」だった。きっかけは、以前どこかで小川さんの記事を見かけたこと。たしか、女性の生きづらさをテーマにしたものだったような気がする。そこから辿り着いたのが、この本だった。
一言で言うと、衝撃、だった。
女性に対する「女らしさ」の押し付け。痴漢や性犯罪における被害者叩き。日本人女性の家事育児負担率の高さ。日本がいかに男性優位社会であるかということ。
ずっと感じていたもやもやの正体はこれか、と思った。
男性優位社会、男尊女卑社会には長い長い歴史があった。日本だけでなく、世界中で問題となり、たくさんの女性たちが声をあげて、世の中を変えてきたのだ。
今は令和の時代。男女の格差なんて、まさかこの期に及んであるわけない、とどこかで思っていた。
もちろんこれは、女性だけに限った話ではない。男性も「男らしさ」「稼ぎ頭」などたくさんの押し付けを受けてきた。女性が受けないような批判も、たくさん受けているのだろう。
でも、女性の抑圧に関しては、圧倒的に歴史が物語っていると私は思う。女性である自分がこの歳になるまでそれを知らずに生きてこれたことを恥じた。だからといって、男女でしんどさを争いたいわけではない。性別関係なく、誰もが平等な権利を持てる社会を目指す「フェミニスト」になりたいと思った。
また、小川さんが本書で引用している、田房永子さんの「どぶろっくと痴漢の関係」も、これまた衝撃だった。痴漢の概念が、180度変わった。
フェミニズムが話題になっている今、勉強したいことが山ほどある。小川さんの本書は、自身の考えやジョークを織り交ぜながらも客観的に書かれており、とても読みやすかった。また、誰も教えてくれなかったことを、教えてくれた。自分が人から嫌なことをされた時、酷い扱いを受けた時、私は声を上げていける人になりたい、そしてそういう人を見かけた時も、助けられる人になりたいと、強く思った。