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ため息俳句 ホトトギス
昨日行った国立科学博物館で開催されている特別展「鳥ーゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統」で、長い間謎であったことが解けた。
といっても、全くの個人的な謎で、外の誰かさんには関わりない。
それは何かというと、「ホトトギスの件」である。
本当を云うと、もうずっと長い間、ホトトギスという鳥は空想の鳥、実在していないのでないかと、疑っていた。
それが、この展覧会で剥製標本ではあるが、実在するとこの目ではっきり見たのであった。
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なぜホトトギスが、空想上の鳥ではないかという妄想に取り憑かれたかというと、単純なことである。
和歌では万葉集以来であるし、俳句で云えば、ホトトギスは、夏の季語の中のスーパースターであった。ホトトギスを季語にして詠まれた句は数限りなくある。それだけ世間の人々は、頻繁にホトトギスの声を聴き、姿を見かけているのだろうと思うのであったが、自分はというとその声を聴いたこともなければ、姿を見かけたことも無いのであった。
これは、世間がよってたかって俺を騙しているのかしらんと、神経症的な被害妄想に似た気持ちになってきた、・・、それは嘘だが。
そうしたところ、あの山本健吉先生が自分と同じようなことをおっしゃっていると聞いて、ちょっと安心したのであるが。
山本健吉先生も、「あれほど日本の詩歌に詠まれた鳥なのに、その声を聞いたという確信がないのは、恥ずかしいようなものである。私にかぎらずほんとうはもう、ホトトギスの声を知らない人が大部分ではなかろうか。」と「ことばの歳時記」という著書の中でおっしゃっているとか。
だからといって、山本先生はホトトギスの存在まで疑ってはいないのだが、自分はそういう気持ちに囚われ続けていたのだ。
勿論、これまで歳時記や図鑑やYouTubeやらでホトトギスとはいかなる鳥かと調べてきたのだが、この目で実際に見たことがない以上、全てが半信半疑であったのだ。
そいうわけで、昨日ホトトギスの姿をはっきりとこの目で見た。まさか、国立科学博物館が人の目を欺くことがあろうはずがないというものだ。
実は自分は案外の野鳥観察好きなのである。足繁く滑川町の国営森林公園に通う動機のひとつは、折々の野鳥が観たい、声を聴きたいと思うがためで、双眼鏡を常に携行してゆくのだ。
とにかく、一声でも聴きたいものである。
冬空にほとぎぎす淋し空耳 空茶