ため息俳句 ちょろぎ
昨日は、インフルエンザで来れないと言っていた娘夫婦が、どうしてもジジババに会いたいとせがむ孫に押されて、急遽やって来た。午後の一〇時過ぎまで遊んで帰っていった。この急襲に、われらはへとへとであった。
明けて今日は四日。
おせちの残り物、毎年のことであるが飽きたので処分、まだ食べられるものは食べてのうえだが。
許されよ伊達巻田作り昆布巻 空茶
うれしきは残りし蟹をカニチャーハン
手つかずの紅ちょろぎの可愛いさよ
それにしても、「ちょろぎ」というのは、おもしろいやつだ。
孫達にも食べてみたらとすすめても、イヤイヤをする。家族内で自分以外誰も口にしない。
「ちょろぎ」とは、どうやら長寿を願う縁起物であるという。
いつもの語呂合わせの縁起担ぎであるが、自分はそんなことより、ユーモラスなその形と色が好きなのである。
とはいえ、毎年食べ残されてしまう。それを承知しながらも、これがないと「おせち」にならない気がする。
此奴は、主役では勿論ない、かといって脇役といえる存在感でもない。ほんの端役であるが、姿が見えないと淋しくなるだろう。
そういう意味で、こう云いたい。
「わたしは、ちょろぎになりたい」と。