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ため息俳句 うつろい菊

 この辺りも、初霜は五日前である。
 うつろい菊とは、白菊が霜に遭うと、花弁の先端から蘇芳色に変色することをいう。

 その色の変わり様から平安朝の頃には「変心」の象徴ととらえるようになっていったという。「変心」と云えばとりもなおさず男女の関係にもいえて、直ぐに思い出すのは「蜻蛉日記」のこの有名な一章である。

 さて、九月ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを手まさぐりに開けて見れば、人のもと遣らむとしける文あり。あさましさに、見てけりとだに知られむと思ひて、書きつく。
 うたがはしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならむとすらむ
など思ふほどに、むべなう、十月つごもりがたに、三夜しきりて見えぬ時あり。つれなうて、「しばしこころみるほどに」など、気色あり。  
 これより、夕さりつかた、「内裏の方ふたがりけり」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむ、とまり給ひぬる」とて来たり。さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二日三日ばかりありて、暁がたに門をたたく時あり。さなめりと思ふに、憂くて、開けさせねば、例の家とおぼしきところにものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、
 嘆きつつひとり寝る夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る
と、例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。返り言、「あくるまでもこころみむとしつれど、とみなる召し使ひの来あひたりつればなむ。いと理なりつるは。
 げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸も遅くあくるはわびしかりけり
 さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたり。しばしは、忍びたるさまに、「内裏に」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなきや。

「蜻蛉日記」

 何となく、今夜は肩が張って重苦しいので、口語訳は省略してしまおう。

 さて、この白菊は、畑の縁に植えてあるもので、何種類か色変わりの小菊があるのだが、自分としてもこの色変わりしたてのころの白菊が一番美しいと思うのだ。

 さて、「蜻蛉日記」の作者の時代は遙か昔のことであるに。

千年菊うつろへの女人達  空茶


 今や「心変わり」は女性達の特権のように思える。