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ため息俳句 くんち餅はいけない、とか

   昨日は、餅つきをした。
 今年最後の日曜日は29日になる。暮れの29日の餅つきは「くんち餅」といって、禁忌とされている。この地方でのことだが、もっと広く云われているかもしれない。「九」と数字は、「苦」に通じるということであろうが、禁忌というのはろくでもないことから発していることもある。そう思いつつも、なんとなく無視できずに、例年より一週間ほど早くの餅つきとなった。
 このなんとなく、世間で言われていることだから、敢えて縁起が良くないことをすることはないという、そういう常識めいた束縛を束縛と感じられないことが、大いに問題だと若い頃は反発してたのだ。だが、年取っての今日このごろは、妻から「くんち餅」はいけないよといわれれると、そういうものかと受け入れてしまう。なんろう、この体たらくは。ただただ、面倒なのだ、いちいち異を述べることが。

 思えば、タブーとされることは生活のあちらこちらにある。
 たとえば、ミミズにおしっこをかけてはいけない。そうすると、おちんちんが腫れる。こんな禁忌ならいくらでも破られてきたたろうが、これと同じくまったく合理的な根拠がゼロのレベルのことでも、人の自由を奪う迷妄の禁忌が至るところに仕掛けられていて、世の中に生きづらい思いをしている人たちが少なくないのは、まったくもって許しがたく馬鹿げたことである。
 やっぱり、面倒臭がることはやめようか。

 餅つきといっても、電動の餅つき機である。一般の家庭用よりは搗ける量が多いもので、実によくできる。釜で湯を沸かしてせいろでもち米を蒸す。屋外で薪を燃やすので、火の番が一人はりつくことになる。北風に煽られて、竈から噴き出す火の粉を用心しなければならない。ご近所にはその煙でご迷惑をかけているが、年に一度の酔狂だとお目こぼしいただいているのだ。近隣でこんな餅つきをしているのは、我らだけである。

餅つきのかまどの番のうす涙  空茶

からみ餅ちょっと下ろしが甘かろう