ため息俳句番外#47 遺失物
ここは、埼玉の田舎町であるが、それでも新幹線が停車する駅の、駅ビル辺りまで行くと、ちょっと都会の風を感じる。暑さに負けて家に籠もりがちであったが、それにも飽きてきたので、すこし世間の様子を眺めにと、その辺りまで出かけてみた。
ぶらぶらと行く中で、以前は行きつけであった書店を覗く。さすがにここは場所柄で活きのいい品揃えである、旧知の雑誌がエライ変わりようの表紙で平積みされているのに目を惹かれる。そのくらい、世間の変化に疎くなっているのだ。
そそられる感じの本を手にとって、ちょっこと目次なんぞを眺めて廻るのだが、そこで茨木のり子さんの『詩のこころを読む』が目についた。やさしげなピンク色のブックカバー。おやおや元のデザインは違っていたなと取りあげると、なんとそのピンクのカバーの下に、元々の岩波ジュニア新書のカバーが隠れていた。二枚重ねられたカバー、珍しいねえと思いつつ、もう一度よくみると、腰帯に「特装版」とあった。
頁を開いてみると、一番始めに取りあげられていたのが、この詩であった。
あの青い空の波の音が聞こえるあたり
なにかとんでもない落とし物を
僕はしてきてしまつたらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立つたら
僕は余計に悲しくなつてしまつた
谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』から「かなしみ」である。
なつかしい。
そういえば、確か思潮社から出ていた「谷川俊太郎詩集」を持っていた、「続」もあったはずだが、今もぼつぼつと続けている蔵書の整理では見かけることが無かった、はて、何処へ行ってしまったのか。
それから、更にページをめくると、吉野弘、会田綱雄、岡真史、黒田三郎、阪田寛夫、新川和江、岸田衿子・・・、記憶する詩人達が続々と。
つい、買ってしまった。
それから、この辺りでは一番昔風の喫茶店に寄って、コーヒーを頼んで、煙草に火をつけて・・・、いや、それはもう40年も前の自分だ。
今日は、タリーズに入って、暖かいコーヒーを飲みながら、失礼ながら茨木さんの文章は飛ばして、紹介されている詩にざっくりと眼を通した。
すると、ページをめくるそこかしこで、朦朧した脳みその薄暗がりから、その詩の言葉に応えるというか、やあお久しぶりと挨拶したくなるような気がするのであった。
妙な云い方だが、こういう広々とした世界を、このところ忘れていたなと思った。
特に、このブログに参加して依頼、素人ながらも俳句方面ばかり気にしていたが、それはちょっと、自分を狭くしたかなと思った。年をとったとしても、好奇心まで縮むのはどうなんだろうと、思った。
なにか、小生の「落としもの」が何だったか、ぼんやりながら思い当たった気がした。