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ため息俳句 問題集

 どうやら、昨年末からずっと歳時記を開いていない。
 昨夜それに気づいて、思わず自分を嗤った。
 俳句の看板をあげているのに、歳時記をほっぽり出しているとは。

 そこで、書棚から成星出版版「現代歳時記」を取り出してきた。
 
 こう単調な日常の繰り返しのせいか、一句ひねろうと試みても初五の一語すら思い浮かない、そういうことがしばしばある。
 そんな時にこそ歳時記が本領を発揮してくれそうな気がするのである。昨晩がそうであった。

 歳時記というのは、自分にとっては、俳句の問題集のようなもので「さあ、この季語で一句ものせよ」とばかりに迫ってくる。つまり、内的に発動する「詩」的モチベーションがあってなくても、ひとつひねってみよとせっついてくる、云わば問題集である。
 世の俳人の皆さんの参加される句会は、事前に季題が示されるように聞いている。多数の中で独創性を発揮されるのはたいそうなことであるように推察する。そうであるから、表現力が鍛えられる場と云われるのごもっともである。
 そういうことで、歳時記を開く時の気持ちは、昔々数学の問題集に向う気分に通じるところが、あるような、ないような。
 
 それでは、時節柄の季語でといわれたら。

 

手を挙げむだ逢えぬゆゑ日脚伸ぶ  空茶