ため息俳句 蝉の声
この夏、まだ蝉の声をうるさいと感じたことがない。というより、はっきりと蝉の声を聴いたのは、一週間ほど前に森林公園でヤマユリを見た時を除くとなかったような気がする。
もともと、住んでいるあたりは、多くの蝉が生まれて、わいわい鳴いて、死んでゆくところだ。抜け殻も庭先の雑木によくぶら下がってた。
そういうことでこの時期なら必ず蝉の実物も見かけるはずであるし、そろそろ蝉の鳴き声がうっとしいと感じる頃になろうというものなのに・・・。
なんだか腑に落ちない。この猛暑にさすがの蝉も沈黙しがちなのかといい加減な解釈をしていた。
ところが、今しがたぼんやりとものを読んでいると、蝉の鳴き声が遠くで聞こえているような気がした。耳を澄ませると確かに聞こえてくる。みーみーという鳴き声が糸を引くように聞こえていた。地虫の鳴き声ではない。耳鳴りでもない。
わかった、二重サッシの防音効果だ。部屋の音が外に漏れないことは意識していたが、外の音も入ってこないということを忘れていた。その防音効果で、蝉の声がかすかに聞こえているのであると。
この地の炎熱地獄を言い訳に、エアコンを効かせた部屋に籠ってばかりだ、まことに半ば生ける屍のごときである。まったくもってお恥ずかしい。自ら怠惰という牢に囚われ人となっているわけだ。
蝉遠し二重サッシに囚われて 空茶
と、ここまで書いて、この推察は本当にあっているのかと不安になって、庭先に出てみた。確かに蝉の声がはっきりと聞こえる。おお、蝉たちよ、達者でいたかと、一安心した。
それから、毎年蝉の抜け殻が取り付いている庭のアジサイの茂みを見にゆくと、発見した。
安堵した。