ため息俳句 初茄子
「初茄子」と書いて、東日本では多く「はつなす」と云い、西日本では「はつなすび」と呼ぶのだというようなことを聞いた。どちらでもいいのだが、一方は四音で、他方は五音、句においてはちっと微妙なところがある。
さて、今年は、千両茄子と埼玉青茄子に二種類を植えた。
今朝あたりは、千両茄子の第一花が育って大きさで云えば食べ頃になってきている。この千両茄子は、ふつうに紫の花である。
他方、青茄子の花は白である。
青茄子は、千両にずっと遅れて植えたので、ようやく第1花が咲いたところだ。
どちらかというと味噌汁の具であれば、青茄子を贔屓にしている。みそ汁にすると千両茄子よりずっと旨いように思う。汁が濁らないし。
でも、茄子漬けでは、この鮮やかな紫がよい。焼くのもこちらかな。
けふもけふもがずに見るやはつ茄子 一茶
と、いう句がある。初茄子というのはうれしいものだ。家庭菜園を始めた年、苗を植えて、やがて花が咲いて、実にかわり、あれよあれよいう間に食べごろまで育ってくれたのを奇跡のように思ったものだ。
だが、一茶の思いはどうも違うらしい。江戸時代、茄子の初物というのは大層な人気で高値で取引されたそうだ。江戸っ子というのは、ほんに初物好きであったようだ。
例の「一富士二鷹三茄子」というのも、何故に「茄子」かと思っていたが、リスペクトされるにたる野菜であったのだろう。
鉢植や見るばかりなる初茄子
というのも、この頃のプランター家庭菜園と少し通じる感じもあるが、いそのこと自分で育てようということだろうが、惜しくてなかなか採って食べられないということか。
そんなことで、グズグズしているとこうなる。
初茄子とらずにおいて盗まれし
気の毒なことだ。
先に述べた我が菜園で、今年の文字通りの一番目の「初茄子」は、これだ。先ほど採ってきた。
茄子としては、あまり形がよろしくない。初茄子は、理屈からいえば一番先に咲いた花からであるはずだ。確かにこの二つはそうであった。経験的にいえば、この一番目の茄子はあまり食べる気になれない、実が固い。思うに、人であれ何であれ、一番目というのはプレッシャーがかかる。相当に頑張らないといけない。なぜなら、期待されやすいからだ。期待されるというのは、実に苦しいものだ。どうやら、茄子もそうらしくて、緊張のあまり実が固く硬直してしまっているのではなかろうか。そういう茄子は、自分としてはあまり食べたくない。旨そうに思えないからだ。ゴメン、初茄子1号君。
まあ、初物といっても、第1号であることはない。いわゆる走り、茄子なら茄子が出回る最初のころのものであればいいのだから、もう数日で我らの食卓に「初茄子」があがるであろう。楽しみだ。