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ため息俳句番外#43 タダゴトの詩

 ぎっくり腰と云えど、立派に病いであるはずだが、命にかかわることはなさそうである故か、どことなく軽んじられていうような気がいつもする。この痛みを知らいない人には、この苦しさを想像できないらしい。
 昨日から症状は軽くなって、きちんと立つか正座するかして、腰から背筋まできちんと姿勢を正すと、痛みは消えるのではあるが、その姿勢のままでいるわけはいかずそれを崩し、変える際には痛みが発生する。
 難儀なことだ。
 そこで、つい横になる時間が長くなる。
 普段、ものぐさでゴロゴロしている際は気にすることもないのだが、肉体的な痛みを避けようと臥せるのだから、ちょっと神経が敏感になるようなのだ。
 わざわざ蒲団を延べて横になっているわけではないので、フローリングより畳がよい。座布団を二つに折って枕替わりとする。この陽気だから、上掛けも無用だ。
 そうして寝転んでいてふと思ったのだが、歌にでも句にでも、病気に臥せった人の作品は限りなくあるだろうが、その中でも正岡子規は、特別な存在ではないか。

 荻原朔太郎はこんなことを述べている。

 そこでふと正岡子規のことが考へられた。あの半生を病床に暮した子規が、どんな詩を作つたかといふことが、興味深く考へ出された。私は古い記憶から、彼の代表的な和歌を思ひ出した。それらの和歌は、床の間の藤の花が、畳に二寸足らずで下つてゐるとか、枕元にある茶碗が、底に少し茶を残してゐるとかいふ風の、思ひ切つて平凡退屈な日常茶飯事を、何等の感激もない平淡無味の語で歌つたものであつた。
 かうした子規の歌――それは今日でもアララギ派歌人によつて系統されてる。――は、長い間私にとつての謎であつた。何のために、何の意味で、あんな無味平淡なタダゴトの詩を作るのか。作者にとつて、それが何の詩情に価するかといふことが、いくら考へても疑問であつた。所がこの病気の間、初めて漸くそれが解つた。私は天井に止まる蠅を、一時間も面白く眺めてゐた。床にさした山吹の花を、終日倦きずに眺めてゐた。実につまらないこと、平凡無味なくだらないことが、すべて興味や詩情を誘惑する。あの一室に閉ぢこもつて、長い病床生活をしてゐた子規が、かうした平淡無味の歌を作つたことが、初めて私に了解された。世にもし「退屈の悦び」「退屈感からの詩」といふものがありとすれば、それは正岡子規の和歌であらう。退屈もそれの境地に安住すれば快楽であり、却つて詩興の原因でさへあるといふことを、私は子規によつて考へさせられた。

萩原朔太郎「病床生活からの一発見」より

 萩原朔太郎「病床生活からの一発見」は昭和13年刊「日本への回帰」へ収録されされている。「日本への回帰」という書名につながる問題はさておき、子規について述べていることを以前から面白いと思っていた。長く病床にあった子規の和歌について、朔太郎は『世にもし「退屈の悦び」「退屈感からの詩」といふもの』があれば、まさにそれだと、子規の作品について云った。おいおいそれはないぜと思いつつも、半分納得したのだが、・・・『退屈もそれの境地に安住すれば快楽であり、却つて詩興の原因』というようなことをもし子規が聞いたとしたら、どんな顔をしただろうと想像すると、・・・、何とも自分には言えない。自分なら、このごろの己を振り返ると、詩興を催すことはないが、快楽なら感じないわけではない。

 たしかに、寝転んで庭先を見ると、我が家は南に障子がはまっているので、障子が開いた空間が、視界である。青葉の山茶花、山吹、南天、利休梅、種の鞘を付けた蘇芳、そんなものが見える。空は晴れて、隣家の白い外壁がまぶしい、とにかく見えるものはそんなものだ。とても、狭い。

 病床の子規のある一日のことだ。

 病室のガラス障子より見ゆる処に裏口の木戸あり。木戸の傍、竹垣の内に一むらの山吹あり。この山吹もとは隣なる女めの童わらわの四、五年前に一寸ばかりの苗を持ち来て戯れに植ゑ置きしものなるが今ははや縄もてつがぬるほどになりぬ。今年も咲き咲きて既になかば散りたるけしきをながめてうたた歌心起りければ原稿紙を手に持ちて

裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる山吹の花
小縄もてたばねあげられ諸枝の垂れがてにする山吹の花
水汲みに往来ゆききの袖の打ち触れて散りはじめたる山吹の花
まをとめの猶なおわらはにて植ゑしよりいく年とせ経たる山吹の花
歌の会開かんと思ふ日も過ぎて散りがたになる山吹の花
我庵をめぐらす垣根隈もおちず咲かせ見まくの山吹の花
あき人も文くばり人も往きちがふ裏戸のわきの山吹の花
春の日の雨しき降ればガラス戸の曇りて見えぬ山吹の花
ガラス戸のくもり拭へばあきらかに寐ながら見ゆる山吹の花
春雨のけならべ降れば葉がくれに黄色乏しき山吹の花 

粗笨(そほん)鹵莽(ろもう)ぞんざいで、軽率出たらめ、むちやくちや、いかなる評も謹つつしんで受けん。われはただ歌のやすやすと口に乗りくるがうれしくて。

正岡子規「墨汁一滴」

 
 この創作意欲の横溢に、自分などは言葉を失う。確かに、歌われている内容は、朔太郎のいう「平凡退屈な日常茶飯事」であって、自分とて長いことどこかよいのかわからんと思っていた子規らしい歌である。子規は病床から庭の山吹を日々日々見続けていた。その見たことごとが、詞となり歌となってやすやすと、口に乗って出て来るのが、うれしいという。なぜか、自分ら凡人でもよくわかるでないか。病床の辛さが、昇華してゆくような精神の息遣いがあるように思う。朔太郎は「安住」というが、いづれにしろ「覚悟」というようなものが定まらないと、こうした心境にはなれないものもだと思う。

 子規は、仰向けになって、左手で紙を持ち、右手に筆を持って書くことができたらしい。寒川鼠骨の文で読んだ記憶があるのだが。
 
 とにかく、タダゴトの詩もただらない場合がある。