ため息俳句 12月8日
季語にもいろいろあるが、普通日付は季語にならないそうだが、歴史的な意味のある日付は数字であっても季語として認められるようだ。
1941年12月8日は、太平洋戦争開戦日。そもそも太平洋戦争は足掛け15年も長々とつづいていた戦争の最後の5年にあたる。この日真珠湾を攻撃し、米英に宣戦布告して、新しい破滅へ局面へ突入したということだ。
自分は戦後生まれではあるが、1940年代の生まれであるから、この開戦の日はそう昔のこととは思われないのだ。
父は軍用馬より軽い命としてみなされたシチョウユソツという最底辺の兵士であった、元来病弱な人であったから大陸で病にかかり、幸運にも同郷の軍医の目に止まって、後方へ送られ病院船で帰ってきたという。それでも、再度の招集で入営したものの筋肉薄弱とで即日家に帰され、それ恥じて本籍の実家にとどまり、東京の職場へと終戦直前まで帰ってこなかったと、母は時々話していた。これには、ちょっといい話も付随していて、実家にいる間、父は親から縁談を勧められ、既に母と所帯をもつ約束をしてたので、四苦八苦したらしい。そこに東京がまる焼けになったと聞いて、いてもたってもいられず上京したのだと。
父から兵士であったころの話を聞いたのは二度きりである。輜重輸卒については水上勉の自伝的小説から情報を得たが、父に確かめることができなかった。
さて、さて、今日も話があちこちへ飛ぶ。
深谷シネマで塚本晋也監督の「ほかげ」を観た。主演は趣里 ・森山未來、熱演である。
「野火」は戦場の人間を描いたが、この作品は戦争後の人間の物語である。先にそう昔のことではないと書いたが、それなのに戦争も戦後も、そこでありふれた庶民が本当のところ何を思い何を考え生きてきたのかということを、自分たちは詳しく知らない。
まず、人間は戦争をどのように体験するのか、その体験を抱えてその後をどう生きるのか、それは「今」に生きる我らには人ごとでない。
この映画を一見することをお勧めする。