切なさに賞味期限はあると思います?〜考察その2。
『伝説の午後いつか見たドラキュラ』(1967年)から始まって『転校生』(1982年)、『異人たちとの夏』(1988年)、『野のなななのか』(2014年)など切なさを大盤振る舞いするのが大林宣彦監督。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第13回】
ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950年)や、林海象監督の『夢見るように眠りたい』(1986年)、マーティン・スコセッシ監督の『ヒューゴの不思議な発明』(2011年)など映画の裏話を描いた画面からも切なさが滴り落ちる。
アンヌ・パリロー演じる元ヤンキーが狙撃者に育てられる『ニキータ』(1990)や、コギャルが闊歩していた時代の渋谷センター街の一夜をコギャルの純情という視点で描いた青春映画の傑作原田眞人監督の『バウンス ko GALS』(1997年)も何度観ても泣きそうになる。
ブローティガンの『愛のゆくえ』ついでに10代、20代の時に読んで切なさを感じた小説を何冊か再読してみようと思い立った。
最初に思い浮かぶのはダニエル・キイス著『アルジャーノンに花束を』。
つぎはロバート・A ・ハインラインの『夏への扉』。
ピーター・セラーズ主演『チャンス』というタイトルで40年前に映画化もされたジョージ・コジンスキー著『庭師ただそこにいるだけの人』(以前の題名は『預言者』)が3冊目。
そのことを書いた万歩計日和です。
『アルジャーノンに花束を』はラジオドラマ、テレビドラマ、映画化、舞台化されているけれど、この物語の特徴は文体の微妙な変化にあるので、本で読まなければ意味がない。
勢いに乗って夏目漱石の『こゝろ』をKindleで再読してみた。56年前に初めてこの小説を読んで以来再読、いや三読目くらいか。
読書好きになるきっかけとなった小説なのに読み終わっても全然感動しなかった。
どんな年頃に読むかによって同じ作品でも感じ方が全く異なることがあるものなんだね。いったい15歳のぼくはこの暗い小説のどこに感動したのだろう。
音楽にも文学にも映画にもぼくが常に求めているのはスリルとユーモアだ。
刺激の中でもっとも好きなのは笑いで、泣かせるとか感動させるとか怒らせるとかは二番手三番手。
笑いは人間だけに与えられた感情表現。
規範から外れたものが笑いを生む。
世間的なとり決めや常識から外れたものが笑いを生む。
道に落ちているバナナの皮で滑って転んだ人を目のあたりにしたら「大丈夫ですか」と声をかける前にまずは笑ってしまう。ありえないことが目の前で起こったんだからね。
なんで道にバナナの皮が・・・
しかもそれを踏んでしまうなんて・・・
日常生活ではあまり見かけないアクシデントだから思わず笑ってしまうんだね。この感覚が好きだ。
この続きはまた明日。
明日は時代の風を吹き込まないと伝統を継承することは出来ないいうことについてです。
明日もお寄り頂ければ嬉しいです。
連載第一回目はこちらです。
ここからご笑覧頂ければ嬉しいです。
第1回 亀は意外と速く泳ぐ町に住むことになった件。