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心の浮輪のさがし方

自己肯定感という言葉を辿る中で出会った
高垣忠一郎さんという臨床心理学者さん。

彼の1999年出版「心の浮輪のさがし方」を読んでいる最中だ。



あとがきの先頭を引用する。

 本書の題名になっている「心の浮輪」とは自己肯定感のことです。最近この「自己肯定感」ということばがよく用いられるようになっています。
 心理学のことばの中に日本語で「自尊感情」や「自負心」と訳されるセルフ・エスティームということばがあります。それと同様の意味で「自己肯定感」ということばが用いられる場合もあるようですが、必ずしもその用語法で一致が得られているわけではありません。
 私自身も本書に収録したいくつかの文章にも見られるように、九〇年代に入って以降、自己肯定感ということばをよく使ってきました。私の場合それは「自分が自分であって大丈夫」という安心感あるいは信頼感を指していますが、なぜそういうことばを用いるのかその意味や背景について詳しく展開したことはありませんでした。今回、本書を出版するにあたり、その問題に触れる章を新たに書き下ろしました(3章)。


高垣さんがおっしゃる自己肯定感は
「自分が自分であって大丈夫」という安心感、信頼感を指す。
競争原理ではなく共感原理から大きくなる流れに乗って伸びやかに生きるために必要なことと表現されている。

一方、
高垣さんの意味合いと異なる自己肯定感とは
バブル崩壊からのリストラ、グローバリーゼーション、自由化、規制緩和などの大きな流れに乗れない「ダメ人間」として
否定され見捨てられる不安におびえ、弱肉強食の「競争原理」に適応した「よい子」=「強者」でいるためのセルフ・エスティームである。



前者は
私は私だ。私であってよい。私を受容する。

後者は
私は強者だ。私はうまくやっている。私を肯定する。

両者を言葉で表現したらこうなった。

私が捉えていた自己肯定感は前者と後者のミックスだった。
私であってよい。私を肯定する。

こうやって文字にしたから違いに気付いたのだが「私であってよい」と「私を肯定する」はニュアンスが異なる。
受動的と能動的な違いがある。
「私であってよい」は受動的で「私を肯定する」は能動的なのだ。
この受動性と能動性の混在に私は混乱を覚える。



つたない英語力に加えて感覚的だが
「I'm OK.」と「I give me OK.」で違う。

前者は「わぉ!すごいじゃん!」の賞賛も「OKと言うしかないわね、はは」の諦めもあり幅がある。
幅があるというよりも限定がない。

後者は「私にOKを与えるよ!」と強行的。
いい時は上から目線で威圧的。評価している感じ。
悪い時は「仕方ない、でもOKをあげるわ」とやっぱり威圧的。
どんな時も「OKラベル」を貼るからね!と幅がない。
視野が狭い。それしか脳がない感じ。



私が最初に自己肯定感という言葉に出会った時は「自分であって大丈夫」の方だった。
そんな類の説明が添えてあったと思う。

だが「肯定」という言葉に持つ
私自身の能動的なイメージを強化し続けて
「自己肯定感」が「I give me OK.」へ独り歩きしてしまった。

自己肯定感は「I give me OK.」ではないよと
「I give me OK.」を好まない私に言ってあげたくなった。



「心の浮輪のさがし方」読書は続く。

巻末の高垣忠一郎さん↓


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