14日間 自己隔離を終えて
(アメブロよりnoteへ移行するため過去の記事を掲載_2020年4月7日投稿)
目の前の現象に捉われるな。
先を見よ。
全体を見よ。
本質を見極めよ。
人生においてサイクルがあるように、人類の歴史においてもサイクルがある。
人生において大殺界と呼ばれる時期があるように、人類の歴史においても大殺界なるものがある。
そして今がその時…。
困難は学び。
100の賢人の立派な教えを学ぶより、たった一度の困難が人を成長させる。個人が困難により成長するように、人類が今成長を遂げようとしている。
困難な状況において最善とされる策はないだろう。
犠牲は必ず伴うもの。
いかなる選択をしても必ず誰かが傷つく。
どちらがマシかを選ぶより方法はない。
困難な状況において人は何者かを攻め、怒りをぶつける。
原因はあっても、誰の落ち度でもない。
ただ、学びと成長に必要な出来事が起きているに過ぎない。
人類が成長を選ぶのなら、困難は必ず伴うもの。
困難によってしか成長は果たし得ないのだから。
人類は弱者を救う選択をしているが、自然界に親子以外の関係において自らの身を削り他を守る生物はない。
それが人類の理性であり美徳であるのだろう。
それは人類の想像主へのチャレンジであるのかもしれない。
しかしながら人類が作り出したこの世界もまた全宇宙、自然の摂理の元に成り立つ以上、それに抗うことはできはしない。
自然の摂理はバランスの元に命を奪い、命を生かし、活かす。
強いものが必ずしも生き残るわけでもなければ、弱いものが生き残らないわけでもない。
善とされるものが生き、悪とされるものが死ぬわけでもない。
若き命が失われることの尊さも、老いた命が生かされることの尊さもどちらも多くの者へ大きな影響を与える。
善が存在するためには相対的に悪も必要となる。
この世は4次元時空、多面であり、全ての要素が必要なのだ。
思い起こしてほしい。
あなたの人生において困難の先には必ずより良い結果があったのではないか。
結果に満足できない時、それは己をないがしろにした時。
今、人類が立ち向かう困難の先には成長した人類の新たな世界がある。
己を尊重し、ないがしろにさえしなければ、必ずや訪れるより良い世界。
困難は継続的にやってくるだろう。
どこが底か、ではなくいつが底か。
いつか、その時期がくると、荒波が収まった後の凪のように静かに穏やかにさざ波へと変わる。
状況をジャッジしない。
状況に翻弄されない。
いつか訪れる困難の終わりまで、流れに任せ、淡々とするべきことをするのみ。
14日間 自己隔離 最終日
https://youtu.be/Mn3vOu_105I
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