
【檀一雄全集を読む】第一巻「衰運」
由木滕介はカリフォルニアに出稼ぎに行っていた両親と、まだ会ったことが無い妹が事故で死んだことをきっかけに大学を辞め下宿を出て新しい宿で暮らし始める。しかし取り留めなく広がる思考に絡め取られて無為の日々を送る。次第に(読者には)妄想なのか現実なのかわからなくなっていき、唐突に物語は終わる。
この頃の檀一雄はおそらく友人知人の家を居候しながらどうしても作品が書けずにいた時期で、その焦燥と憂鬱が色濃く反映されているように感じた。どことなく坂口安吾「竹藪の家」っぽさも感じるが、この作品が『日本浪曼派』に発表されたのと「竹藪の家」を含む小説集『黒谷村』が発表されたのが同じ昭和10年で『黒谷村』の方が半年近く早いのも併せて考えると影響を受けた可能性は十分にある。
もうひとつ気になったのが、作中にガス自殺を試みる場面があって、檀が太宰治に誘われてガス自殺を図ったエピソードを連想させる。
咄嗟に滕介は瓦斯のゴムをひきはずした。灼熱した焜炉がみるみる消えうせる。滕介の耳には計量器の廻転が正確に響いていた。(略) それから滕介はばねのようにはねおきる。灼くような生命の飢餓が滕介の背筋を蹴った。
「うむ」と私は手探りで瓦斯管の捻子を開き、それから、焜炉をゴム管からひき抜いた。(略) 猛然と、覚醒した。咄嗟に、瓦斯管が開かれていることに気がついた。カターンカターンと計量器の廻転している音が聞えていた。(略) 立上がった。捻子を閉じた。出口の扉を開け放って、飛び出した。
これは明らかに同じ体験を元にして書かれていると思われる。より実体験に近いであろう「小説 太宰治」ではこの事件はちょうど檀の最初の小説集『花筐』が上梓される前の頃だったと書かれている。「衰運」が発表されたのは昭和十年で『花筐』が上梓されたのは昭和十二年なので二年の隔たりがあるが、一応『花筐』の前ではあるのでやはり太宰との自殺未遂のエピソードを織り込んだ可能性が高いだろう。