【檀一雄全集を読む】第一巻「漆黒の天国」
昭和十二年に日中戦争の動員令を受けて軍隊に入った檀一雄は昭和十五年に召集解除となるが、再度の召集を逃れるために満州に渡る。昭和十六年にその満州で書かれたのがこの小説だ。
自らを「帝王」と呼ぶ烏の視点でイエス・キリストの登場から磔までを見るという話で、この小説が発表された前年にはユダの視点からイエス・キリストを語る太宰治「駈込み訴え」が発表されている。檀の「小説 太宰治」によると、のちに檀は太宰に「位階という題で実朝を書こうと思っている」と伝えたところ「俺も書くんだ、実朝を」と驚かれたこともあったという。結局檀の「位階」が完成することはなく、太宰は「右大臣実朝」を発表した。「漆黒の天国」が「駆込み訴え」に影響を受けたかどうかはわからないが、これも偶然だとすると、本当に檀と太宰の共鳴ぶりは凄い。
ちなみに太宰の「駈込み訴え」からさらに先んじて昭和十三年に山岸外史がキリストを一人の人間として聖書を読み解く『人間キリスト記』を刊行している。太宰治、山岸外史、檀一雄は太宰が「東京八景」のなかで「三馬鹿と言われた。けれども此の三人は生涯の友人であった。」と書いたほど深い交流を持っていたので『人間キリスト記』が「駈込み訴え」「漆黒の天国」に与えた影響は大きいだろうと思われる。
この時期の檀らしく少し性急に話を進めたきらいはあるが、烏の視点から語らせるというところにこの「漆黒の天国」のおもしろさがあり、幼い頃から自然の中で自分の感覚を育んできた檀ならではの視点、少し人間という生き物を離れたところから見つめているようなところが生かされている。