【檀一雄全集を読む】第一巻「最後の狐狸」
これは小説というよりも極めてエッセイに近い作品だ。
現代における幽霊というテーマで、幽霊そのものは目の当たりにしたことが無いという檀が、幽霊を見ることができるという人物についての話や、物憑きの真似をする人物についての話、自分が取り憑かれたようになっていた話、人を惑わす狐狸のような存在に遭遇した話を紹介している。
中でも私が興味を持ったのは、戦後すぐに檀が最初の妻律子に先立たれ、その子供太郎を連れて間借りしていた破れ寺に檀と同じく間借りしていた戦争未亡人の話だ。その未亡人は幽霊が見える、火の魂が見えると言って檀親子を呼びに来たという。檀親子は未亡人について行って、未亡人が指さすその幽霊や火の魂が見えたという辺りを見るのだが、実際に幽霊や火の魂を見ることは無かったという。ただし、次第に太郎はその幽霊の存在を信じるようになっていったという。
この未亡人は、先述した律子が病臥し亡くなるまでを書いた作品「リツ子・その愛」「リツ子・その死」の後日談といえる短篇小説「埋葬者」に登場するオフイという人物のモデルだろうと思われる。
檀の晩年に刊行したエッセイ集『蘆の髄から』の「ユーレイ話」というエッセイでも「超常サマ」としておそらく同じ人物が紹介されている。私はこのエッセイから、「埋葬者」に登場するオフイには実在のモデルがいたと思われるという記事を書いた。ここで時系列を整理しておくならば、「最後の狐狸」が発表されたのが昭和二十四年で、その翌年に「埋葬者」を発表、そして昭和五十一年に『蘆の髄から』が発行されている。つまり、「埋葬者」のオフイの下敷きになったキャラクターというのは「最後の狐狸」に出てくる戦争未亡人ということになる。
この「最後の狐狸」という作品については、連想したエピソードを思いつくままに書き継いでいったようで散漫な印象は否めないが、紹介されているエピソードはのちの作品やエッセイにも登場するものであり、そういった意味では重要な作品といえるかもしれない。また檀のエッセイの魅力である語り口の軽妙さ、楽しさは存分に味わえる作品だと思う。