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【檀一雄全集を読む】第一巻「樹々に匐う魚」

 水沢あきの幼少期から教師になっての日々を描いた話。あきは母親が二人いる家で育った。十五歳の夏休みに父親が亡くなり、母、母の一人は出奔した。もう一人の肺病の母も亡くなり、あきはその母の弟に預けられることになった。

 このように特殊な環境で明確な愛情をかけられることなく、二年遅れて入った学校では同級生と交わることもなく、教師の命令で自分を鞭打つ組長甲野五郎に密やかな恋をする。その思い出から、のちに教師になったあきは目をつけた男女の生徒を執拗に鞭打ち、そのあとでは家に呼んで一緒に遊んだりご馳走したりする。倒錯した愛情だ。

 愛情にも生きていくことにもおそらく喜びを感じることができずにいるあきは、いつも鞭打っている男子に「立派な男になるのには」と聞いて出てきた「大望」という言葉が不思議に心に響き、その言葉をひとり繰り返してみるところで物語は終わる。

 この小説ももう少し続きがありそうな唐突な終わり方をしている。ただ全体に流れる苛立ちと不吉さはいかにも初期の檀一雄の小説らしく、独特の魅力がある。結局題名の「樹々に蔔う魚」とはなんだったのかというのもわからないが、いい題名だなと思う。詩人らしい小説と言えるのかもしれない。


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