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やりたいことと、お金を稼ぐことは両立できる。

こんにちは。みづきです。

「心が喜ぶようなやりたいこと」と、
「お金を稼ぐこと」のバランスをどのようにとったらいいのか悩む人は多いと思います。

コーチングで何人もの人の悩みを聴いていると、
具体的なエピソードが違えど、
「これは現在社会で起きている共通の悩みなんだな」
という集合意識と言いますか、社会課題が見えてくるのです。

その1つが、
「自分のやりたいことと、お金を稼ぐことをどのように両立させるか」

わたしも、会社を辞めて個人で仕事をするようになってから、
この大きな問いに悩み、葛藤し今に至ります。

でも最近実感値として、
好きなことややりたいことと、お金を稼ぐことは両立できる
と思うようになったんです。

今日はそんなお話を言語化してみようと思います。

好きなことで稼ぐなんて、夢のまた夢でしょう?

好きなことで稼ぐなんて、夢のようなことだ。
一部の才能と運のある人だけができることだ。
仕事って、努力したからこそお金という対価が得られるものでしょう?

と、思っていました。3年前くらいまでは。

例えば、あなたがお菓子をつくることが好きだったとしましょう。
でも、現状はまったく畑が異なる業界の会社員だったとします。(ITとか製造業とか)
いまさら「自分のカフェをオープンしたいなあ」と思ったところで、
現状まったく関係のないことを選んでしまったし、調理師免許を持っていなかったりしたら、それで稼いで生きていくなんて到底無理じゃないか。

そんな風に思ってしまいますよね。

「若い頃からパティシエとして修業している人には敵わない」
「いまさら調理師学校に通ったって・・・」

考えれば考えるほど、現実的じゃない。

だからこそ、自分にふっと湧いた「自分はこれが好きだなあ」という心の火を無いことにして過ごしてしまう。
あるいは、「ワークとライフは切り分けて、趣味の範囲で楽しめばいいや」
と心を切り替えて過ごしている人も多いのではないでしょうか。

かくいうわたしも、同じことを思って葛藤していました。

自己理解を進める中で、
「ちいさい頃の夢は学校の先生になりたい」だったなあ。
と気付いたはいいものの、教員免許は持っていないし、33歳の今から教員免許を取りにいくのはあまりに現実的な方法ではなく、それに現状の教育システムの中で学校の先生という役割になることをイメージすると、全然心がワクワクしませんでした。

自分のやりたいことには気づいたけれど、
それを実現するためのルートがわからない。

ましてや、それでどのように食べていくのかを考えると、
かかるお金や(実際にそれができるようになるまでの)時間の長さや、
その仕事の大変さを瞬時に想定・計算して、

「いやあ~それはないな。あまりに現実的じゃないもの」

と無かったことにして、また今現状の仕事に戻っていく。

そんな日々を送っていました。

だけど、自分が理想とするような生活を送っている人をみると、
心がざわざわするんですよね。

SNSを通じて、

「特任准教授になりました!」
「未来の教育の仕組みを考えるセミナーで登壇します」

と言った投稿を見ると、「いいなあ~」という気持ちが湧いてくる。

そしてある時気が付いたんです。

わたしがわたしのやりたいことを満たしてあげない限り、
一生誰かを羨んで、その度にモヤっとしたり、ざわってしたりするかもなあ、
と。

何度も繰り返しざわっとするならば、きっとそこには自分の心からこうなりたいと願っている「未来への可能性」が詰まっている。

そんな風に感じたんですよね。

「時間もお金もかかるし、現実的じゃないから」
「安定した仕事を手放すなんてきっと茨の道で大変そうだから」
「わたしにはこれまでの経験や資格がないから」

とやらない言い訳を探して、せっかく自分の心に湧き上がってきた衝動を誤魔化すのはやめようって思いました。

宣言することから、はじまる

自分の心に正直になって、打ち明けるのは、怖いことでもあります。
特にそれが、自分にとって大切なことであればあるほど。

大切だからこそ、理解されなかった時に自分が痛い思いをしそうだから。
だからまずは、家族や身近な友人、安心できる関係性の人たちへ宣言することからはじめました。

「わたし、実はちいさい頃の夢で学校の先生になりたいと思っていたことを思い出したの。でも、正直いまの教育システムの中で働くのは心が乗らない。だから、学校をつくろうと思う!
自分が今まで取り組んできたことを詰め込んだ新しい学校をつくりたいんだよね。」

そんな風に、実現可能かどうかに関わらず宣言することからはじめてみました。

おそるおそる周りの人に言葉にしてみると、意外な反応が返ってきました。

「え、いいじゃん!素敵だ~、応援するよ!」
「それを聴いて、こんなイメージが思い浮かんできたので絵にしてみたよ」
「まずはサイトをつくるの協力するよ」
「わたしマーケティングバックグラウンドだから相談のるよ!」

そうして、あれよあれよという間に共感してくれる人が集まり、得意なことで一緒にカタチにしてくれる仲間が現れました。

「想いのこもった言葉のチカラはすごい!」

と自分の想いに正直であること、想いを宣言することから新しい物語がはじまっていくことを体感しました。

そして何より、周りの仲間への感謝の気持ちが溢れました。

そうしてカタチになっているのが、わたしの喜びが詰まった学校、
「つながりの学校」です。

手前味噌ですけど、ロゴもキャッチコピーも素敵すぎませんか!?

こうして、自分のやっていること(仕事)を自分がいちばん推せるって、すごい幸せなことだなと思います。

リスクをとることは、未来への可能性をひらくこと。

つながりの学校を創立したのが2023年の6月。

いま1年と数か月目でようやく
「つながりの学校ほんとうにすてきな場所だから!!!」
と胸を張って推せるようになったのですが、

はじめた当初はそうではありませんでした。

最初は、
「つながりの学校ってどんな学校なんですか?」
と聞かれても上手く言語化できなかったし(悔しくて泣くくらい)、

定まりきってない状態ではじめたもんだから、
「言ってることよくわかんない」と笑われたりもしました。
(わたし自身も、過去の自分の記事を読んで「何言いたいかわからない記事書いているな~」と思います笑)

そういう反応をされるとショックを受け、
心がジェットコースターを下るように落ちていった日も何度もありました。

でも、今となっては思います。

何かあたらしいことをはじめるときって、
そういう反応をされることがあるんですよね。

逆に、そういう反応を避けて、
「自分のやりたいことが明確に固まるまで誰にも話さないし公開しない!」
とやっていたら、たぶん一生はじめられなかったし、ここまでカタチになっていなかったと思います。

いわゆる「完璧になるまで、リスクを全部つぶすまで何もしない」というのは、一生何もはじめることができないでただ人生が過ぎていくことでもあると思うんです。

だって、わたしにだってわからないことだらけだから。
想いはあるけど、実現化のプロセスに関してはわからないことだらけです。

体験してみるからわかることがある。
はじめてみるから、次へのアクションが見えてくる。
宣言してみるから、周りから色んな声をもらって反映させていくことができる。

そういう、リスクも含めた未知への可能性にひらかれていることが、何かをはじめるときには必要なスタンスだったんだなと思います。

創造的な人生をおくりたいのなら、
リスクを冒すことに積極的でなければなりません。

「BIG MAJIC」

人生の節目にはリスクを冒すからこそ、
想像もできなかった未来がやってくる。

リスクを取ることは、まだ見ぬ可能性への扉をひらくことです。

きっと自分で何かをはじめて取り組んでいる人は誰しもが
多かれ少なかれリスクを取って一歩踏み出したからこその結果なんだと思います。

現状のシステムを止め、意識的に分岐を選択する

ちょっと話が脱線するんですけど、「自分のやりたいことでお金を稼いで生きていく」に必要なエッセンスだと思うので、お話しさせてください。


先日、映画「ラストマイル」を観てきたんです。

「ラストマイル」は、物流システムをテーマに「ショッピングサイトでポチっと商品を購入してから消費者の手元に商品が届くまで」を物語にしたサスペンス。3億点もの商品を抱えた倉庫と、商品が流れていくベルトコンベアを画面いっぱいに移しながら「What do you want?(あなたの欲しいものは?)」という不気味な広告音声が流れていく。
そんなドラマです。

で、ラストマイルを鑑賞して感じたことと、自分の好きなことで稼いで生きていくことがわたしの中では非常にリンクしたんですよね。
(ここから少し映画の話をするので観るのを楽しみにしている方は飛ばしてくださいネ)

物流システムのベルトコンベアって、まるでわたしたちの人生みたいだなって思ったんです。

大きなシステムにのっとって、ベルトコンベアの上を流れている。それが良い悪いという話ではなく、

誰もが多かれ少なかれ大きなシステムの一員であると思うのです。

スマホをひらけば頼んでもいない広告が出てくるし、
物心ついたときからお金を中心とした資本主義社会に生きているし、
自分で選んだわけではない学校で、自分が選んだわけではない授業を受けて
義務教育を歩んできている。

そういう、大きなシステムと流れの中で、わたしたちは生きているのです。

そしてその大きなシステムから脱するには、
個人の強い意志が必要になります。

マジョリティは学校に行く中で、行かないという選択をすること
安いほうがいいという基準を超えて、生産者や仲介者を調べて買い物をすること
キャリアアップが是とされる社会で、一旦人生の空白期間をとる選択をすること

大きな流れに対して「STOP!」と自分の選択で立ち止まり、
自分で考えて選択するためには、勇気とつよい意志がいると思うのです。

流れに乗っているほうが楽だから
みんなと同じで居た方が波風立たないから

日本社会ではまだまだ、自分で考えて意見を言ったり
社会への違和感を言葉にすることに対して

「考えすぎじゃない?」
「大人なんだから上手くやんなよ」

という目を向けられることが多い世の中だと思います。

人と異なる意見を持つものは変人扱いされるし、
時に排除されそうになることだってあります。

映画「ラストマイル」はこの社会のリアルを絶妙に描いているんですよね。

だけど、自分の情熱をもって、自分の意志で大きなシステムを降りる選択をした主人公たちは、苦難や葛藤を抱えながらも生き生きとしているんです。

これ、自分の好きなことややりたいことで生きていくと決めた人たちも同じなんですよね。大変なことやつらいことはもちろんあります。たくさんの壁にもぶつかります。

だけど、生き生きとしている。
人間の尊厳を持ちながら、自分の情熱をもって生きています。

映画「ラストマイル」から学んだことは、

既存のレールの上にいることに違和感を生じるならば、
意志をもって待ったをかけること。

その上で、自分がほんとうに歩みたい道を選択すること。

そして1人でやろうとせずに仲間を見つけること。

それが未来からみたら自分の人生を生きる分岐点になると思います。

自分の好きなことややりたいことで、お金を得るためのヒント

ここまでたどり着いてくださった方、ありがとうございます。
前置きが長いですよね・・・(苦笑)

でも、この前置きで長ったらしく話したスタンスこそが、好きなことでお金を得るために一番大事な土台になります。

リスクを取る覚悟のない人は、行動が出来ません。

お金が無いから、時間がないから、スキルがないからと
いつまで経っても「いつもの自分」を選んでしまう。

当然ですが、分岐点に立たされたとき、あたらしい道を選ばない限り、変化はやってこないのです。(運というのはこのチャンスを掴めるかどうかだとも思います)

ここからは、わたしがつながりの学校をはじめつつわかってきた、
「自分の好きなことと、お金を稼ぐことは両立できる」
という確信について言語化してみたいと思います。

自分で0から仕事をつくってわかったこと。

それは、「自分の想い120%じゃ届かない」ということです。

もちろん想いは大事です。
わたしも、想いが起点となってその人のオリジナルはカタチづくられると信じている人です。

だけど、自分以外の誰かに「届ける」フェーズになったとき。
想い120%では独りよがりになってしまうということです。

想い120%で突き進んでも、数人であれば共感してくれたり、自分のサービスを購入してくれる人はいます。初期フェーズでは、特に。

だけど、10人、100人と届けていくことを想定したときには、
必ずや「相手視点に立つこと」「相手に想像力をはたらかせること」
が必要不可欠なのです。
(書いててめちゃくちゃ普通のこと言っている自覚はあるのですが、自分でサービス立ち上げるときって、ついつい自分目線で語ってしまうんですよこれが・・・)

例えば、幕の内弁当を知らない人に幕の内弁当の魅力を伝えたいときに、

「幕の内弁当っていうのは本当に美味しくって、愛情たっぷりで、最高のお弁当なのよ!」
と言ったところで通じないわけです。

幕の内弁当が必要な人は、何に困っていて、これまでどういうお弁当を食べてきていて、どういうものがあれば満たされて、どういう伝え方であれば響いてそれなら食べてみたいと思ってもらえるのかを考える必要があります。

だからこそ、自分の想い120%じゃ届かない。

こういうとビジネスチックな話に抵抗感がある人は「結局マーケティングじゃん」と思うかもしれません。

かつてはわたしも、「マーケティング手法を前面におき戦略的に考えて発信すること」に抵抗感がありました。

でも今、つながりの学校という子どものように大切で愛おしい存在を育む立場として取り組んでみると、伝え方を工夫して考えチューニングすることは受け取ってくれる人への思いやりだと思うんです。

結局、その行動をどこからやっているか。それに尽きます。

相手から搾取しようと思ってマーケティング手法にのっとっているのか、
相手はどうしたら喜んで受け取ってくれるだろうとまるでお誕生日サプライズを考えるように取り組んでいるのか。

お金や人数を目標値においてしまうといつの間にか目的と手段が入れ替わり、見えなくなりがちなところですが、

わたしは常に後者でありたいな、と思っています。

ビジネスの手法だって、最初はそういった「受け取ってくれる人への愛や思いやり」で開発されたはずなんですよね。

それが、フレームワークや上澄みだけが拡がっていき、
自社利益や目標数値を達成することが第一目的化していった結果、

顧客の幸せよりも利益を重視する広告やビジネスがたくさん蔓延してしまった。
ブルシット・ジョブと呼ばれる誰にとっても幸せでない仕事が増えてしまった。

それが今なんだと思うのです。

ちょっと話が脱線しましたが、ここでお伝えしたいのは、

自分の想いと他者の想いとの両方を大切にする中庸的なスタンスがあれば、
自分の好きなことでお金をいただくということはそんなに難しいことではないと思うのです。

わたしは、

「個人に起こることは、世界でも起きている。
世界で起きていることは、個人でも起きている。」

と思っています。

つながりの学校のメンバーを見ていても感じるのですが、自分自身を深く自己理解していくと、自分自身の源につながっていくことができます。

「わたしの願いは、大好きな食が最後まで愛をもって消費者に届くこと。」
「わたしは、それぞれが人間として関わり合える世界を創りたい。」

そんな風に自分の内面を深ぼっていくと、他者や社会にとっての喜びにもつながっていきます。

個人に起きることと、世界で起きることはフラクタル。

そして、「自分が必要だと思うものは、きっと誰かも必要だと思っている」ということが体験を通して腑に落ちると、自分のやっていることに自信をもって届けることができます。

わたしもつながりの学校を試行錯誤しながらやってみたからこそ、

「こういう場所を探してました!」
「本当にかけがえのない6か月間でした」

と言ってもらえて、わたしの願いからはじまったことは、わたしだけの願いじゃなかったんだ、と腑に落ちました。

そして、その経験があるからこそ、

「つながりの学校って最高の場所だなあ」

という感覚が育まれ、お金をいただくことにも抵抗感がなくなりました。それくらい価値のあること、意味のあることをやっていると思うから。

そうやって、少しずつですが「好きなことでお金をいただく」という循環構造が起きてきています。
今では、入学前の2時間の体験イベントでさえ「これまで体験したことのない本当に素敵な時間でした!」とコメントをいただけるようになりました。

はじめる前の震えるわたしに言ってあげたい。

必ず必要とする人たちに出逢えるから、大丈夫だよって。

「好きなことを仕事にする」なんて最近ではありふれたメッセージだと思います。

そしてありふれたからこそ、「でた広告業界の売り文句!」「どうせスキル講座でしょ」と思う方もいると思います。(わたしは、キャッチーでありふれたメッセージには疑い深いタイプw)

だけど、自分の体験をもとに確信をもって言えるのは、

本当に好きでやりたいことを受け取ってもらえるって、
本当にしあわせなことだということです。

すぐにお金になるかはさておき、その瞬間って本当に心が満たされます。
そして自分のしたことで喜んでくれた人は、必ず恩返しをしたいという気持ちになります。

それは、お金かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、相手に与えた喜びが大きければ大きいほど、それが結果としてお金になる。

「前にとっても美味しいケーキを頂いたから、今度会った時には手作りのアクセサリーを贈ろう」

好きなことでお金をいただくって、たいそれたことではなくて、ただそれだけのことだなと思うんです。


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①2024年8月8日(木)20:00~22:00 終了
②2024年8月26日(月)20:00~22:00
 終了
③2024年9月8日(日)10:00~12:00
 終了
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みづき @つながりの学校主宰
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