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じっと、「その時」を待つ。

人は悩むと、無理にがんばろうとしてしまう。

そんなときは、やりたい気持ち(Want to)よりも、やらなければならない気持ち(Have to)が勝っていて、本当の感情を押さえ込むことへエネルギーを消費している状態であることが多い。

やらなければならないという気持ちのままがんばりを無理やり続けていると、いつかは疲弊して心や身体が(もしくは両方)が壊れてしまう。

だからこそ、無理やりにがんばろうとしているときは、「自分にとっては、不自然な行動をしているのではないか」と内側にアンテナを立ててみる。

「本当に今、やるべきなのか」

「この状態をどれだけ継続していけそうか」

これらの問いに対して、不安や緊張を感じているならばそれは”止まれ”のサインかもしれない。

がんばることは、悪いことではないが、時に自分に対しての暴力となり得ることだけは、心得ておきたい。


人は、がんばろうとしなくても、その時の状態にひたっていれば、自然となにか行動してみようかなと思う瞬間が訪れる。

「私は今、~と感じているんだなあ。」

「私は今は、~と思っているんだよね。」

とその瞬間の感情や思いに意識を向ける。見て見ぬふりや、なかったことにしない。その感情に、その思考に、良いも悪いもない。それはあなたがその瞬間に感じている、思っている事実だ。

けれどもそれに捉われてはいけない。私が言う「その状態に浸る」とは、自覚的にありのままの感情や、思考を観察し、認め、受け容れることであって、自分のいる位置を見失うことではない。

こうしてその状態に思う存分浸れば、自然と新たなエネルギーに変化していくからだ。これを抑圧してしまうと、その抑圧していることへエネルギーを消費してしまう。それは例えるならば、車のブレーキとアクセルを同時に踏んでいる状態であり、いつか故障しかねない。

だからこそ、ブレーキはブレーキ、アクセルはアクセルで使い分ける。自分のこころが、からだが、ブレーキを踏んでいるときは、ブレーキでいい。無理しなくてもがんばろうともしなくていい。思う存分ブレーキを味わえば、またいつかアクセルを踏みたくなるタイミングは訪れる。

そしてその先に、自分は次、どのような意識的選択をしたいかということに思いを馳せてみるということだ。

それは確かに自分の中から湧き上がるエネルギーだし、そういう状態に自然となった時は、人がなんと言おうとやりたいという気持ちが備わっている。


「あと最低限、なにがあれば自分は踏み出すことができるのか。」

この問いを持って、いまの自分の状態をじっくりと観察してみることも面白い。

「私は実はこれを欲しているんだなあ」という要素が思い浮かんでくる。それは知識かもしれないし、時間かもしれないし、お金かもしれない。そういった具体的な要素が明確になれば、あとはその目標数値を決め、前進していけばいい。

違和感や不自然な感情は、「ありのままの自分」からの何かしらのサインだと私は思っている。


「本当はこっちじゃなくてこっちがやりたい」

「疲れているのにエネルギーを振り絞って無理をしている」

「本来の自分や意見が他にあるのに、相手に合わせすぎてしまっている」


こういったときに、いわゆる"モヤモヤ"のような違和感が生じてくる。

そのモヤモヤの正体は変化の兆しであり、きっとあなたの成長のサイン。モヤモヤしている状態はよくないことでもなんでもない。個人的には、ものすごく良い経験だと思ってすらいる。

そのモヤモヤの状態においては、きっと脳内でリソースの再構成をしているから。今まで信じて疑わなかった考え方や信念に疑問を持ち、「本当の自分はどうしたいのか」を考えるきっかけになるから。

その答えは、外部にはない。あなたの内側にきっとある。いや、内側にしか見いだせないことが答えなのだ。



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だからこそ、私は伝えたい。

その時をじっと待つ。がんばらなくてもいい。無理しないでもいい。

ただ、変化の兆しを見落とさずにキャッチして、内側に問いかける。そうやってひとりひとりが内側を満たすことができれば、人々はもっとクリエイティブを発揮できるし、他者とやさしさでつながることができると信じて。



あなたが自然体で、心地よく過ごせるのが一番のサポートです💐