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落ちこぼれが某大手ゲーム会社に作品を販売するための『夢』に向かって奮闘する話
こんばんは。ゲームサークル【MIZUBLUE GAMES】のみずブルです。
早速長くなりますが…私のこと語らせてください!
すぐ覚めたり諦めたりする夢は夢だなんて言わない。
だから、これほどまでに追いかけたい夢なんて全然なかった。
頭は16歳で止まってる35歳。世の中ではアラフォーの仲間入りであるが遅咲きのチャレンジャーに今年(2024)なった年でした。
結論から言うと、Nintendo SwitchのDLソフトリリースと言う大きな舞台で戦っています。最終段階でリリースまであと一歩です。
こんな未来、私も誰も想像していなかった。
生い立ち(学生時代)
学生時代はずっといじめられていた。小〜高1。そして大学、大人。
友達に裏切られた。見限られたりした。教師にセクハラ、同級生にはストーカー、バイト先でパワハラされた。
今でさえSNSで切りたくないのに切られたから辛いけど縁を切る。
喧嘩別れしたわけでもないのに、嫌われたとか面倒とか音沙汰ないから切られるんだろう。
あと人を良いように使って最後要らない、使えなくなったらポイ捨てされる。
人間関係でものの見事にズタボロにされて『精神病』を発症。
ただ目の前にあるのは絶望のみで私は大学時代、恩師のようなPCのインストラクターになりたいと思っていたが、1年もせず大学から消えた。誰にも言わず。
つまり逃げたのだ。負け犬と言われても仕方ない。
友達は多かったが本当に頼れる人なんて誰も居なかった。
女のグループって怖いよね。
だから、本当は友達ではなかった。グループ分けされていて、友達ごっこに入れてもらっていただけってこと。
気付いた時にはガラスの心がぶっ壊れていて、時既に遅かったのだ。
でもね、逃げることは悪いことではないよ。
生い立ち(病気)
前通っていた精神科の医者が抑鬱と診断したため、大学病院で鬱の薬を投与したら躁転してしまった。
本当の診断は『双極性障害』。
バイトの面接に20社以上落ち鬱が酷くなった。
ドクターストップで引きこもり。(今も働くことは私にとって良くないのでやめるよう言われている)
そしてそのうち家族とも上手く行かなかった。
そのうち病院にも行かなくなり、完全孤立で『解離性障害』のため人格が変わっていた。
そんな時、東日本大震災に遭遇。
私の目の前で大きな桐ダンスが落ちたりした。
誰からも安否確認してくれるような人は居ない。家族でさえも、誰からも心配されない。
「私なんて必要とされていないのだ!」と心から泣いた。
震災はより私を孤独にした。
もう生きることに疲れていて、私の姿・名前なんてなくなれと、卒業アルバム、小さな頃の自分の写真を一枚一枚手で千切って切り刻み、身辺整理をした。
楽しかった時期も高2の時あったけど、あの頃の自分はもう居ない。
立ち上がれ!
26歳の時になり、30までに何とかしないとこの世を去る、そう目標を立てて、近くの精神病院に1年通った。
私はグループホームに入って家族のみんなとの縁を断ち、自立したかったのにも関わらず最初の双極性障害の診断を別の診断に変えたこの医者に「もう治療関係は結べない、診断書書くから早く次の病院探せ」とこれでも前向きに生きようとしてたのに見限られた。最初から私の診断は双極性だと言われているのに診断変えたこの医者こそが藪医者と言うわけだ。気に入らないから出てけと言うのだから。
(ここで私は乙女ゲーム【呪われた森の旦那様】のシナリオを書く。このゲームは30歳になると死ぬ森に暮らす旦那様たちと恋愛する物語だ。この時はまだゲームを作りたかった訳ではない。引きこもりゲーマーで乙女ゲームをやりまくっていて自分でも自然と「書いてみたい」と思ったのだった。)
私は何とか諦めず、とある先生の情報(今の主治医である)を調べ、病院に行くと最初は女医さんだった。
その先生も優しくて信頼出来たが、1年もせずにこの病院を辞められるとのことで思いも寄らずお目当ての先生を薦められたのだ。
すぐに今の先生に指名、そして主治医として引き継いで頂いたのだった。
27歳の時なので、ギリギリ命を救われたのだった。
運命の出会い
おばあちゃんが認知症になり、ようやく1階に降りてきておばあちゃんと夕食を2回食事をともにしたあと、おばあちゃんは夜トイレに行く時に足を滑らせ骨折し、コロナのせいで会えなくなった。
そのまま手術成功後は車椅子の生活など家では無理だったので介護施設に入った。
その頃になって私は家族だけは見捨てないでいてくれることにありがたみを覚えたのだった。
その頃姉から「ティラノビルダー」と言うゲーム制作ツールを紹介された。
今時のゲームはプログラミング要らずでゲーム作れるんだ…と思った。
それが運命の出会い。
ゲーム制作者"みずブル"の始まりだった。
そしてやっと姉の甥姪と初めて会ったりすることが叶った。
おばあちゃんは老衰で亡くなってしまった。
私のことすっかり忘れてしまったが、最後に夕食を食べられたこと、それだけは私は決して忘れない。
お葬式は私が受付をし、みずブル家の代表として頑張った。
今の病院と先生になってから、見る見るうちに良い方へ変わって行った。先生は私の話をただ聞いてるだけで人助けしているすごい人。
おかげで滅びていた私はまた徐々に復活して1から人生をやり直すことが出来た。
リアルの友達だって1人も居ない。
いや、居なくても良い。SNSで会話してくれるフォロワーさんが居るくらいで良いのだ。
それもティラノビルダーのおかげだ。
ここから始まる
ただ、フリゲ界に来たものの、その頃から私のように新人(同士)が増えてなかなか私の作品が日の目を見ることもなくなってきたので、コンテストには実力不足で落ちるし、この界隈に居るのが辛くなって、2023年から販売活動に移った。
そして前置きが長くなったがここからが本題だ。
Nintendo Switchにインディーゲーム制作者でもゲームが出せると知り、まずはデベロッパーとして認められないといけないのでアクセス申請を行った。
最初はダメだったものの、よくよく見たら…、
コメントに前向きに検討していることが書かれており、1回だけでしょげてたのだが、
2024年の1,2月からもう一度トライしてみることにした。
そして5回目の正直でようやく私もNintendoデベロッパーになることが出来た。
が、そこからが問題だ。中はプロ集団ばかり。中のことは全て内緒の世界。
私なんて場違いだった。プログラミング出来ないと話にならないと…
プログラミング学びたかったのに、学べずに大学を去ったことをここで後悔した。
しかし、自分の身の方が大事だから仕方ない。
私はもしかしたら、もう人生に何の未練もなく悲観して去っていたかも知れないのだから。
今なら未練ありまくり、むしろ生きたいと思える!
そう滾らせてくれる…【夢】。
もうこの時点で私にも未来の続きがあったなんて思わなかった。
私は何とかしてUnityで作れる制作Assetを探し出すが…
どれでも良いわけではなくて、Nintendo Switchに対応してるものでないと。
そういうものは、価格が高い。
絵も描けないので他で頼るしかない。
私の夢にお金はどうしてもかかる…
ハッキリ言って損してばかり。取り戻すこともないだろう。
それでも私の作品が、Nintendo様にて販売することが出来たらこれほど嬉しいことはない。
幼少期は全然楽しくなかった。
でもゲームしてる時だけはとても楽しかった。
かつて友達だった人とN64でワイワイゲームしたこと…
私の青春時代にはゲームが必ずあった。
それはNintendoのおかげ。
今はゲーム制作する方が楽しいけど、やはりゲームが好きだ!!!!!
パブリッシャーに頼ることも考えたけど、
【MIZUBLUE GAMES】で出したかったので
諸々のことに関しては全部1人でやってきた。
でも作品作りは色んな方の手を借りて出来ている。
それも青春だよね。
私は幼い頃、青春を謳歌することがなかったので、今青春を感じているんだ!と思えた。
最後にもやはり試煉は絶対に付き物で、そう簡単には突破出来ない。
大谷選手がまさか肩を亜脱臼したように…
夢の前に障害はやはり付き物なんだねと思い知らされる。
でも、大谷選手は1年で夢を叶えた!
確実にリリースまであと少しってところに来てる!
私だって今年中(出来れば)夢を叶えたい!
まだ時間はあるから、慎重にやっていこう。
私はね、かつて私のこといじめたり、見限ったり、バカにした人たちに自慢したいくらいだよ。
どこかに吠え面かいて失踪したと思ってるだろうけど、ネット上で陰でもんのすごく努力して、今すごいことを成し遂げようとしてるところなんだって!!
私は正直者なので、自慢はしたい。
本当にただの落ちこぼれだったけど。
才能なんてなくても、人は夢を見る。
何度諦めかけても良い、可能性を信じて頑張っていれば遠回りしたとしても最終的に道は切り拓けるってやっと分かった!
夢を見ることは悪いことではないです。でも身の丈に合ってるのにはしましょう(私もちょっと背伸びしてるけど)
終わりに
とまぁ、こんな感じで、落ちこぼれの人が何も分からず軽い気持ちから始めて、こんな大きな夢を見て頑張るとは思わなかったので、こんなことを書きました。
未来の自分は絶対に考えても見なかった。そもそも私は雑食ゲーマーで満足してたのに、自分でゲーム制作することになるなんてつい最近まで考えてなかったので。
しかもゲームするより制作の方が今はメチャクチャ楽しくてたまらないです。
もうすぐe shopに自分の作品が並ぶかも知れないと思うと、ワクワクしてたまりません!
明るい未来のため、これからも努力して頑張ります!