おぼんろを最近知った人へ(+『月の鏡にうつる聲』ちょこっと感想)
以前、劇団おぼんろの演劇について記事を書いた。
そのおぼんろの新作公演が2023/8/4より走っている。
今回は改めてこの劇団おぼんろについて書こうと思う。
できれば「なんとなくは知ってるけど…」くらいの人には是非読んでほしい。
あと新公演のネタバレなし感想もちょっとだけ。
おぼんろ独自のスタイルとその魅力
まず、劇団おぼんろについて。
劇団おぼんろは代表・末原拓馬氏によってもう10年以上の歴史をもつ劇団である。
路上演劇からスタートし、小さな座敷の劇場で独自のスタイルを確立しながら数多くのオリジナル公演をうち、コロナ前まではその舞台と客席が一体になるスタイル―舞台を取り囲む形の客席、演者が客席の間を縦横無尽に走り回る、開演前にストーリーの情景を想像力で補うための"練習"を観客にさせる、など―が話題を呼び、今や実力溢れる客演も交わるまでに成長した非常にホットな劇団だ。
脚本は全て末原氏が執筆し、アットホームな劇団の雰囲気とは裏腹に、ファンタジックかつダークな展開の中で巻き起こる「やさしさと残酷さは紙一重」とでも言うかのような不器用で愛に溢れたキャラクターたちが織り成すストーリーが大きな魅力となっている。
台詞回しや言葉選びも独特で、どこにいっても末原氏の持ち味と分かるくらいどこか詩的で、もの悲しい雰囲気がある。
そして登場人物が感情のぶつけ合いになる場面は、切実に想いのたけを吐露する台詞が多く、"言葉で伝える”という表現をとにかく大切に演出していることが分かる。
そんなおぼんろが立ち上げ当初から我々観客に伝え続けていることがある。
おぼんろが伝える物語のチカラ
「物語が世界を変えることを信じている」
数年前まで、末原氏は公演終了後に必ずそう語った。
同時にこうも言う。
「今日来て良かったと思ったら、次は友達を連れて来てほしい。そうすれば倍々作戦で一気に仲間が増えるから」。
これは「あなたの言葉でおぼんろの良さを伝えてよ」ということ。
私は普段から観劇をするが、良かったと思える舞台があってもそんなに周りにしょっちゅう話したりはしない。それは魅力が薄かったからとかではなく、ただなんとなく”話す機会がない”みたいなことだったりする。
それでもテンションが上がればどんどん色んな人に話して回ることもあるわけで、それをきっかけにいわゆる布教に成功した例もあるにはあるのだが、日常的に「必ずそうしよう」という意識までは持っていない。
初めておぼんろを観た時、まさか劇団側からそういう提案をされると思っていなかった。図々しいとは思わない。ただ純粋に、おぼんろの作風を観た私にとって人から人へこの物語の良さを言葉で伝える意味を心の底から理解することが出来た。
そして「物語が世界を変えることを信じている」というあまりに直球過ぎる言葉には衝撃すら受けたものだ。
例えば、私は昔、参加していた地域活動で子どもたちと舞台鑑賞をする機会があった。
目的は子どもの豊かな感性を育んだり、芸術を通して保護者の繋がりを太くすることで子育て支援に繋げるというもの。扱う題材は演劇以外のものも含まれていたが、中でも戦争の歴史を題材にした作品が多かった。
演劇界隈の人にとっては、政治活動に精力的な人間が演劇人に多いことはリアルとして知っている筈だ。それは戦後の台本検閲や言論統制に芸術分野の人間が真っ向から主張をしてきたことの積み重ねだったり、日本政府の芸術文化に対する意識の低さからくるものだったりと動機は様々だが、一貫して戯曲のテーマにそれらの意識が含まれている。
とはいえ、内容は息苦しいものではなく普遍的なテーマに上手く落とし込まれていることが多いので”演劇って左翼っぽい”みたいに政治が苦手な人間からも敬遠されずにいられるのはまさしく”物語”というある程度のフィクションに包まれているが故の現象だと感じる。
おぼんろはそれこそ政治臭はしないものの、きらきらしてみえるお伽話の中にも愛や憎しみがいかに悲劇の連鎖を生むかという点をエグいくらい生々しく描く。それは戦争や差別など、現実の私達に直線的に突き刺さってくるテーマに他ならず、目を背けることが難しい。
8/6の末原氏のツイート
物語の意義はただリアルをオブラートに包むということだけではない。物語であれば大きく人の心を動かすことが出来る。だから、そこにメッセージを持たせればただ語り掛けることよりもずっと大きな意義を持つということになる。
学校でもらう道徳の教科書はただのセオリーだ。それを読ませるだけでは他者への優しさは育たず、実体験と結びつく物語に触れることで、苗に水をやるように、丁寧に人の心は育てられていく。
おぼんろは、そういったことを観客にダイレクトに訴えることで自分達の生んだ物語が少しでも誰かの心の支えになるようにと、本気で舞台に取り組む姿勢を見せているのだ。
私はここを、本当にカッコいいと思った。
万人クリエイター時代、創作する理由には様々なものがあるだろう。世のため人のためにならなくとも、どんな表現をするも自由とされている。
その中で、自分の創作が世界を変えると本気で信じている人はどれだけいるだろう。もちろん、一人では難しいし、何年も続けるのはもっと難しい。
おぼんろは昔からスタイルが変わらず、ずっとエネルギッシュで、辛い現実に理想を掲げ続け、そこに向かってひたすら走り続けている劇団なのだ。
私は、毎公演終了後に末原氏が語る「物語は世界を変える」というフレーズが大好きだった。実は、最近はコロナによるハコや尺の関係なのか、この語りを聞く機会がなくなってしまった。
だからここに、最近おぼんろを知った人へ向けて書いておく。
おぼんろがどんな思いであなたの知らない数多くの作品を生み、そしてこれからも生み出し続けるのか。
人から人へ―私はまだこれをやり切れていないが、今ここだけでも、この記事を読んだ人がおぼんろの舞台に参加してくれることを願う。
『月の鏡にうつる聲』ちょこっと感想
さて、ここからはちょっとだけネタバレなしで最新公演の感想を。
写真からも伝わる圧倒的な舞台美術。もともと廃材を利用して小さな劇場を劇場とは思えないくらいにアレンジしまくっていた劇団は、一般的な舞台構成になっても変わらずそのスタイルを見せてくれている。
もう色んなシーンが上記の記事で撮られているのでお分かりかと思うが、今回は特に美術が美しい。そのビジュアルのインパクトや画の構成に至るまで、澄み切った世界観として完成されている。
一方、登場人物は相変わらずリアリティがあり、どこか幻想的な空気にも澱みが感じられる瞬間がある。これがちょっとダークなお伽話を演出するには最適な塩梅になっている。
ストーリーはおぼんろファンなら期待を裏切られないいつもの末原イズムを感じられるものに仕上がっているが、ここで公式HPの一説を観て欲しい。
観劇すれば、よりこの一説がしみることだろう。
そして今回、ネタバレしないとは言ったが、作中で出てくるとある台詞のみ紹介させて欲しい。
ここまで読んでくれたなら分かると思うが、この言葉は上記で書いた末原氏の舞台にかける思いそのものである。
これが誰の台詞かは自身の目で確かめて欲しい。決してメタな意味ではない。
作中のこの台詞の意味を知った時、ここまで記事を読んでくれた、あるいは昔からおぼんろを応援していたあなたのマインドはひっくり返るだろう。
もう一点、心に響いたポイントを。
これも舞台写真に出てしまっているけれど、今回は楽器が板の上で演奏される。音楽劇になるわけではなく、このパートは作中で最も深い意味を持っている。
現地に行けない人には配信でも観て欲しいところだが、音の響きというのはその場でしか感じられない。腹まで響く太鼓の音。ストーリーにどう重なるのか、ミュージカルのオーケストラとは全く意義が異なる故、出来れば劇場で体感して欲しいものだ。
さて、ここまでおぼんろについて語ってきて、改めて私のおぼんろに対する思いも変わっていないのだと気付くことが出来た。
ずっとスタイルは貫いているとは言ったが、実は当初とはキャストや公演の形態はちょっとずつ変更が加わっている。商業である以上は当然変革も必要だが、それでもここで語ったような根本の物語を創る想いは変わっていないと感じる。ここまで変わらぬ姿勢を貫いている劇団というのも数十年に1つあるかないかだと思う。
「どうかこの物語があなたの物語となりますよう」
舞台は一瞬だからこそ、人の心の中で永遠に残ることが出来るものであり、世界や人の想いを変えるポテンシャルに満ちているのだと、私も信じている。