大阪日記 ③ ⛩️神社巡り
京都、金閣寺に行った翌日は 神社巡りをしました。
いろいろ行きたい候補があるのですが 今回は 自転車で 神社巡りをしようと 決めました。
距離と、なんとなく気になるということだけで ふらふら神社巡りです。
まずは、少彦名神社。
スクナヒコナ神社と読むのだそうです。薬のまち、道修町(どしょうまち)に鎮座する少彦名神社は 『神農さん』の愛称で親しまれているようです。
町の通りのビルの一角にありました。
次 どこ行こうかな、と マップを見ました。
雲が気持ちよさそうだなぁ、と思いながら 信号待ちで 見ていたんですが ふと
ビルの窓に映る反対側の気持ちよさそうな雲に気づいて 惹かれました。
わあ、わたしの脳内で ふたつの空を繋げよう(笑)
わたしが見ている視界の中で きみたちは同じ場所にいるね。うん。
謎の納得です。へへ。
次は、サムハラ神社です。
とんたんさんが教えてくださって 岡山のサムハラ神社にも行きたいのですが、今回は 大阪に寄らせていただきました。
サムハラ神社の景色も素晴らしかったです。
何も調べずに行ったので 知らなかったのですが サムハラ神社のお守りは 指輪型なのだそうです💍✨
わたしが訪れたこの日にも 指輪のお守り
(御神環)を求めて 来ていらっしゃる方が 数人いました。
帰ってから調べると、
訪れたその日に指輪型お守りがあるかないかはわからなくて、サイズも様々で 自分に合うサイズがあるとは限らないようです。
というか、たいてい欠品中だと書かれているブログを拝見しました。
たまたまあっても サイズが合わないものだったりして、合わなければ ネックレスにするといいと思う方もおられると思いますが 指輪として つけないと ご利益はないそうです。
予約もできないので ゲットできるかどうかは運次第。
自分より必要な方のもとへと渡ったんだなぁ、と広い心で 次の機会を待ちましょう、とも書かれていて 大変おもしろいと思いました。
こういうの好きなんです。
そろそろ 寒いし 帰ろうかな、と思ったのですが、マップで見ると わりと近くだったので 次の神社へ行きます。
坐摩神社です。
知らずに『ざまじんじゃ』と 読んでいましたが、正しくは『いかすりじんじゃ』と読むらしいです。
ですが、『ざま神社』とか『ざまさん』という愛称で呼ばれているそうです。
少彦名神社も、サムハラ神社も 狭い境内ながら 平日なのに 思ったより 訪れている方が多かったんです。
坐摩神社は お辞儀をして、鳥居さんをくぐった時 人がいなくて 静かでした。
ただ、時間帯もあるのでしょうけど、あちらこちらの景色が 美しかったです。
その景色ひとつひとつに 響きがありました。
魂のf分の1の揺らぎを感じました。
この感覚 本当に気持ちがいい。
エネルギーのシャワーが凄いです。
だんだん 嬉しくなっていきます。
だんだん 気持ちが軽くなっていきます。
楽しくなります。
あ。
これはもう、覗くしかありません。
どの水瓶にも 青空が映っています。
水の中の景色、その奥にも世界を感じます。
愛してます。
そのすべてを。
出会えてうれしい。
こころが柔らかくなってきます。
稲荷神社の隣りに 陶器神社もあり、いろいろな陶器が置かれています。
奥に進んでみると 随分と広く、明るい印象です。
ここには 参拝に来られている方が 少し、いました。
帰ってから調べてみると、坐摩神社の神様は 人が住んでいない時代からいた神様で、よく笑い、底抜けに明るく大阪のオッチャンみたいな気さくさを持っている、とブログに書かれている記事を拝見しました。
へぇ。
帰りも覗こう。
あれ?
龍がいる。
…あ。
龍がいるなぁ、と まじまじと 見ていると ナメクジも見つけました。
わたしの中で 軽く 衝撃が起こります。
帰りに自転車漕ぎながら、ナメクジの出来事を思い返しました。
まだまだ記事にできていませんが 我が家の三毛猫が行方不明になった時、ナメクジが いろんなことを教えてくれたんです。
38日ぶりに 帰ってきた我が家の三毛猫。
帰ってくるその前日に いろんな目には見えない、耳には聞こえない、また、虫や鳥たちが、不思議なものが、全力で わたしに伝えてきていました。
わたしの中で 太鼓が ドーンドーンと鳴り始め、鳥たちが わたしの周りで、いつもより賑やかになったり、蜻蛉が頭に こつん、とぶつかってきたり。
そして、更には 仕掛けていた捕獲器の上に ナメクジがいたんです。
三毛猫がいなくなってすぐに夜中に、探しに行った際、一度 ナメクジを連れ帰ったことがありました。
大きなナメクジです。
最初に出会った大きなナメクジと、38日後に 捕獲器の上でいたナメクジとは 別のものです。
三毛猫の無事を祈り、帰ってきてくれることを望んでいる途中に ナメクジに出会い、いろんなことを考えて 探している間は どんな小さな虫も 殺生をしてはいけないという思いにたどり着いていました。
ふと、ナメクジは 受け入れてくれたんだなぁ、と感じたのです。
変な話ですが、わたしはそう感じたのです。
そんなふうに 鳥や虫たちから声をかけてもらった感覚は ずっと忘れられないものとなりました。
そのことを、坐摩神社のナメクジを見て 思い出したんです。
それをきっかけに 詰まっていたところが どどーっと流れ出す勢いで 光を感じながら たくさんのことが繋がりました。
重度の鬱で 長年 療養していましたが、その間、何度も何度も覚醒したかのような感覚を覚え、また 崩れて、またまた覚醒しての繰り返しでした。
記事にも書いたことがあり、みぞおち空間の名前の下に リンクを貼り付けている『いのちだろう』。
これは 覚醒を続けていた後に 感じた魂の経験です。
宇宙を泳ぎました。ふふ。
これを体験して、自分の内側から 自分自身が生まれた感覚がありました。
自然の神様とか いろいろな神様がいると言われていますが、結局は自分を動かす神様がいないと 何も変わらないんじゃないかと思っています。
どんなに祈っても願っても。
自分の神様が芽生えてから 思うように目の前のことが動かなくても それも わたしが行きたい先の道中の出来事なんだなぁ、と柔らかく受け入れるようになりました。
景色みたいなもん。
そして、この出来事の時間というものもあり、ちゃんと時が経てば 終わりが来る。
その間 どういう自分でいるか、どうあるか、それを、そこを、散歩するように 景色見ながら 小さな選択をしながら 時をすり抜けていこう、そう思うようになったんです。
それからというもの、
神様に祈ることをしなくなりました。
もちろん、感謝はします。
山にはいる時も、
綺麗な景色を見た時も、
いろんなことに。
それが この神社巡りで、このナメクジに出会って いろいろナメクジについても 調べていたら ナメクジのことを書いてるブログを見つけました。その内容とは 特に関係ないのですが、そのブログで 『数霊』という言葉に出会い、『カタカムナ』というものに出会いました。
ここから、自分の内から 生まれた神様が 改めて 自然や宇宙の神様を もう一度 信頼してみたら、という感覚が届いたんです。
もう少し 力を借りてもいいよ、みたいな。
何を書いてるのか 自分でもわからないのですが(笑)
感じたままを記しておこうと思います。
今少し 『カタカムナ』に興味があります。
ただ、わたしは 自分で確かめたいのです。なので、気になるものを読みながら 疑問に思うことは 自分で経験しながら 確認していこうと思うのです。
がっつりハマることは ないけれど、カタカムナから 神社から 古事記にも 興味を持ち始めています。
何に繋がるんだろうなぁ。
たのしみです。
カタカムナのことを調べていたら 虫のことにも繋がったので 個人的にうれしくて 震えています(笑)
魂の足元が 光帯びて 湯気のようなものが上がっていく景色も見えていて 力が湧いてくるのも感じます。
今回の大阪はまた 大きなポイントになりました。
スマホの充電も 残り少なくなっていたのですが、ふと、大阪城公園に寄ろうと思いました。
大阪城公園の紅葉も とても美しかったです。
京都の金閣寺で 知らない人が
『こんなに紅葉じっくり見たの初めてな気がする』
と話していた言葉が 聞こえてきたのですが。
そう言えば、こんなにちゃんと紅葉を見たのは、わたしも人生初かもしれません。
たまたまではあったのですが、今年はゆっくりと紅葉を見ることが出来ました。
これで 今回の大阪日記、終わりです。
長ーくなり申し訳ありませんが 最後まで お付き合いくださってありがとうございます。
note公式 国内旅行 記事まとめ、マガジン追加ありがとうございます。
とんたんさん、サムハラ神社を教えてくださってありがとうございました。とても 気持ちが良かったです。
追記; 神社巡りの日を平日と書きましたが 土曜日でした。