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ピラティスが目指すものとは?【身体・心・精神の調和】におけるわたしの解釈

こんにちわ。

20代の頃。
読み込んでいたものがあります。
それは?
"論語"です。
(ひでおさーん、わたしのこの時期覚えてますか~?笑)

孔子のことばを胸に
一生懸命がんばっていた時期がありました。
「どんな場所でも一生懸命やりつくせ!
それがお前の道になるのだ!」
みたいなメッセージを受け取り、
それを実感しながら歩んでいたのですが。

どこかのタイミングで

孔子のことばが
まるで
鎖 のような存在に変化していったのです。

もちろん変わったのは
孔子ではなく、他ならぬ、わたしです。

孔子のことばが頭をよぎることで
1歩まえに進むことへの許可が
おりない感覚に陥った。
(もちろん素晴らしい内容し、現代まで廃れず読まれ続けているなんてすごすぎて尊敬しかありませんし、論語関連の本は断捨離した時も売りませんでした笑。)


本日は、そんな孔子と私の関係を
おもいだすことになった
おおきな学びについてです。


人生には、午前と午後がある。

【午前】
・胎内からの分離
・自我ができてく
・Identityの確立(義務、役割、信念)
・分離

【午後】
・悟り
・自我を手放す
・Identityの解体
・統合

午前→午後
これが人生。

午前から午後に向かうのは
簡単ではなくって。
人生を前におしすすめることを
自らの精神が許可したときに
それは可能になる。

前半は孔子的。
後半は荘子的。

これ聞いて
超納得したんですよ。
まさに!そうだ!って。
いやー、本当に感動しました。

そして、ここからが本題。

ピラティスの究極的ゴールに関する
自分の解釈がうまれたので
それを書きたいんです。

ピラティスの創始者が書いた本に
"ピラティス(コントロロジー)は、身体・心・精神の完全な調和を目指すものだ"
って書いてあるんですね。

これ、どういうことなんだろうって
ずっと疑問だったんです。

よく聞くのは、

"身体も心も精神も
ぜんぶが良い状態にする"

というニュアンスの説明。

わたし、これには同意できなくて。
良い悪いってそもそもないはず。
けど、調和ってなんなん。

長い間、腑に落ちる説明ができなかった。

けど、ついに今日、腑に落ちたんです。
正解はピラティスさん生きてないから知らんけど、自分で納得できたんです。


人生は
午前も午後も、どれも必要。
どこにいても、素晴らしい。
いまいる場所を
じっくり味わう時期も必要。

しかし、
過剰に滞り続けることは、どの自然界をみわたしても、それは自然ではない。
(物理的に同じ場所にいることを指しているわけではありません。同じ会社に長くいることとか、同じ人と一緒に居続けるとか、そういう話ではなく、もっとSpiritの話です)


午前から午後へ
ここの切り替えが最も難しい。
つまりここが最も苦しく、生きづらく、
長期にわたって滞りやすい期間。

そして切り替わる起爆剤は

間違いなく

【気付き】だと思うのです。


本人が、自分自身で、気付くこと。

そしてその気付きは

培ってきた信念、
全うしてきた義務や役割、

これらを一旦脇において
くもりなきまなこで
今、この瞬間に在ること

これでしか、成し得ないのです。


ピラティスの究極的ゴールである
身体・心・精神の調和とは
全部が良い状態であることじゃない。

いま、この瞬間を、ありのままでみること

これをしかるタイミングで
本当の意味で実現できたときに

人は滞りから脱却して
自然体となる。

午前から午後に切り替わらずにおわる人生も、きっとあると思うんです。
それはそれで、今世で必要なことだったり、意味があるのだと思います。

ぜんぶ素晴らしい。

けど、ピラティスが目指すのは
しかるべきタイミングで
駒をすすめることができる
そんな状態なのではないでしょうか。

ピラティスのゴールは

身体・心・精神の調和とは

いま、この瞬間をいきる

これに尽きる。

いま、ここ
って

シンプルだけど
今まで軽く言ってたけど

とんでもないものでした。

奥の深さに圧倒されました。



今日も、これまでにも、
本当にすべてに感謝です♡





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