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“成長”と“能力up”を結び付けなくていい

こんにちは。
トム・クルーズがあまりにカッコよくて、どうにかなりそうです。
トップガン、最高です。
アメフトのシーンがほんとに好き。



どうしようもなくイライラしてしまうことが最近あったんですね。
それは、“能力が低い”みたいな類いの言われ方をされる場面。
たった1人の意見でも
すごく腹が立ってしまう。
頭に血が上る感じがする。
カラダの中が赤黒い何かでいっぱいになる感じがする。
どんだけ(笑)

ちょっと太った?くらいならスルーできるんですけどね
そうできない自分に驚きです…

だけどそれって
自分に能力があると思いこんでいるからなのかもしれないなあと
気付いたんです。
それに、能力を高めることを大事に思っているから
そこを誰かに否定されたりすると
どっしり構えられなくなってしまうし、すごく傷付くし、怖い。

「成長」と「能力アップ」を結び付けることを辞めたら
もっと楽になるのかもしれないです。
能力アップというか、能力が高いと認められることかな。。。
永遠とハードルが上がり続ける目標設定、それを達成するスキルがここでいう「能力」です。(笑)

成長はしたい。
10代のころから何度も読んでる本に、こんなことが書いてあって。

成長とは、ある意味で人生における「様々な経験」を通じて、そして「様々な人間との出会い」と通じて自分の中にいる「様々な自分」の存在に気が付き、その「様々な自分」の可能性を開花していくことに他なりません。

成長し続けるための77の言葉 田坂広志

高みを目指すことを求められる場面がありますけど
高みに向かう能力を得ることが成長だと思っていたんですけど
微妙に違うのかもしれないです。


少しズレますが
昨日、お客さんに、結婚して良かったと思うことは何?と聞かれて
「自由になったこと」と答えたんです。
まるで所有物かのように、彼女とか妻とかそうゆうレッテルを
貼ろうとする人が基本的にはいなくなった。
自分も求めなくなった。
誰からもコントロールされない自由な身になった感覚があります。
だから、出会う人たちといい循環が起こるようになったし
そこに生きがいを感じるというか
ああ、私ってやっぱり人が好きなんだなあって
再確認できたんです。
結婚関係なく、それはできるはずなのに
私は無意識に自由を制限していた気がします。

仕事も少し重なるところがあるかもしれなくて。
なんか、何かの役割がつくとか、いい評価をされたいとか
そうゆうものを1ミリも思わなければ、
能力の高い人と思われたいという気持ちを本気で捨てられたら
今より何かがよくなるのかもしれない。
わあ、これ、レッスンと同じだ。

根本的に私は人が好きで、
関わった人たちが 共鳴し合って満ち足りた気持ちになって
人生の駒を前にすすめる力が湧いてくる
その連鎖にただいる。
これができてたら、すごい幸せなのだから
そこに徹したらいい。

生き物は
誰かに気付いてほしくて、知ってほしくて、見てほしいもの。
それだけで、生命の力は人間の浅知恵を超えて高まるもの。
そこにただ向きあいたい。敬意をもって。

田坂さんの本の通り、成長が様々な自分の可能性を開花することなのであれば
能力不足を指摘されてむかついた自分を見つめて笑
こだわりを手放せた時に
許せる範囲が広がっていく、幅が広がっていく

高みを目指すんじゃなくて、広さや深さが大事で
それが成長なのかと考えたのでした。

だけど、自分が後輩に何かを指摘して
こんなこと言い返されたら
なんか失せるものがあるな(笑)
やっぱり時と場合によります。


レッスンも
チームをまとめることも
その他の人間関係も
大事なことは同じだったという気付き。
なんで今まで気付かなかったんだろ。


今日も全てに感謝です♡

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