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「僕たちはどう生きるか」

コロナでちょっとした気分転換も憚られるようになって1年半。
自分自身の住環境が変わり、仕事も日常の時間の振分けも変わり、
心地いい服装が変わり、必要なものも変わり
変化したものに慣れきれず
毎日が鬱々としたものになっていた時に
この本が目に留まった。

『「ここではないどこかへ行く」ためではなく
 「すでにいるこの場所をより精緻に知る」ために』

裏表紙の帯にあったこの文章に
頭の中のどこかでベルがなった。

私の場合、住空間の変化は降って湧いたように起こった。
「引越し」が突然日常の流れを全く別のものに変換してしまった。

今、こうして言語化する過程で気づいたのだが
日常の中で見ていたTVニュースやラジオを奪われたことの大きさ。
日々のリズムとも思っていなかった小さな小さな変化。
自分の深いところにある意識が頼りなく漂い、自分自身を不安定にしていた。
ヒトってなんて繊細なんだろう。

そんな時に目に留まったこの言葉。
著者は、新進気鋭の数学の独立研究者で
溢れる情熱の知識と好奇心で、何時間でも右に左に歩き回るながら
しゃべり続ける現代の知恵袋。
コロナという社会現象と変化をどう言語化するのだろう。
そんな思いで手に取った。

幼稚園児の瑞々しい感性や京都東山の自然と
そこで繰り広げられる生のいとなみへの眼差しは
とてもしなやかで、どこまでも謙虚でやさしい。

自分という存在はコミュニティや生態系の一部であると
認識することから見えてくることがあって
目の前の現実をより精緻に把握しようとすることの
大切さをうたっている。生きてみながら考えるしかない。

成熟や発酵についても何度か登場する。
いずれも時とともに醸成されるもので、種を蒔いても芽吹きまで待つことになる。
一瞬一瞬が唯一で、同じ一瞬は二度とない。
その一瞬を重ねていくことで変化が形になる。
時を重ね、季節を重ね、
そして、それが生をつないでいくことになる。

著者の深くしなやかな言葉は、そのひとつ一つが
とても暖かく、壇上で歩き回りながらの弾丸トークより優しく響いた。

最後に、父が息子に贈りたい言葉から。

 『心を閉ざして感じることをやめるのではなく
  感じ続けていてもなお心が壊れないような
  そういう思考も可能性を探り続けたい。』

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