早生みかんのこと
みゆです。
先日、スーパーの産直コーナーに出ていた早生みかんを見て
「わあ、みかんが出てる!はやなまみかん?生みかんって何?」
とかふざけた事を思った私ですw w
そんな、みかんの缶詰やゼリーじゃあるまいし、並んでいるのはある意味みんな生みかんでしょうよ笑
暑くて、あたおかだったんだわ、きっとね。
ああ、#なんのはなしですかって話よ。
そう言えば、昨日、もろみのお漬物を頂いたんです。
パッケージには、漬けられている野菜(きゅうりやなす、生姜など)が漢字で書かれていて、最後に諸味と書かれていました。
そこで、私はまた思ったのでした。
「諸味?もろあじって何?」
無知が過ぎますw
これも暑くてあたおかだったのでしょう。しばらくして「諸味=もろみ」だと繋がりました。
こういうのも、暑さのせいなのか、無知のせいなのか、加齢によるものかは分かりませんがw
自分の無知を晒すのはここまでにしましょう。
タイトル通り、早生みかんの思い出話など書いてみようと思います。
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先日、実家に行った時にちょうど父はテレビを見ながら早生みかんを食べていた。
テーブルの上に置かれた小ぶりなサイズの緑色のみかんを父は私にも食べるように勧めた。
「意外と甘かったけん、みゆも食べんね」
私はその時、コーヒーを飲んでいたので
「今、コーヒー飲んでるから後でもらうよ。たぶん、今食べたら酸っぱく感じるー」
と答えた。
すると父はもう一袋あるから持って帰るように私に言った。なんでも、叔母が来た時に持ってきてくれた物らしかった。
帰り際、父に早生みかんを一袋もらって家に帰った。
家に帰り、小ぶりなサイズの緑色のみかんを見て、私は小学生の頃の運動会を思い出していた。
運動会では、グラウンドの周囲に地区ごとに大きなテントが張られる。
テントの中では、それぞれの家族が応援に来ている。もちろん、うちの両親も見に来てくれていた。
私や弟の出る種目を手を振って応援したり、写真を撮ったりしていたみたいだ。
私は運動は苦手だけど、足はそこそこ速かったので運動会は好きだった。両親にいい所を見せようと張り切っていたように思う。
5、6年生は自分が出るだけではなく、それぞれに役目があってその仕事をこなさなければなならない。自分がなんの役割を任されていたのかは覚えていない。でも、係のリボンだか腕章を付けて、両親のいるテントの前を通る時は少し恥ずかしかったけれど、どこか誇らしくもあった。
そんな運動会の楽しみと言えばやはりお弁当だろう。
母は料理が得意だったので、いつも美味しいお弁当を作ってくれていた。大きな2段のお弁当箱には、おにぎりや卵焼きに唐揚げなど好きなおかずがぎっしり詰まっていた。それにおやつや飲み物に加えて、果物の入ったタッパーもある。果物は剥かれた梨やブドウ、それに早生みかんもほぼ毎回あった。
テントの下でわいわいと食べるお弁当は美味しくて、近所の家族の人たちともお話をしたりなど、そういう事も楽しい思い出だ。
お腹がある程度満たされると、果物を食べる。梨やブドウは甘くて美味しくていくらでも食べられそうだ。そんな時「みかんも食べ」と緑のみかんを手渡される。
皮を剥いて、一房口に入れると、やっぱりまだ酸っぱい。
冬のみかんは甘くて美味しくて、いくつでも食べられるのに。どうして大人はわざわざ酸っぱいみかんを食べるのだろう。私にはあまり意味が分からなかった。
それからも、秋の初めには早生みかんはうちのテーブルの上に置かれていた。けれど、私はテントの下で食べたみかんの酸っぱさが思い出されて食べる事はほとんどなかった。
あれから長い長い月日が経った。
今の私は、その当時の両親の年齢をとうに超えている。
この前、実家でもらってきた早生みかんを私はまだ食べる事ができずにいる。食わず嫌いなのか、子供時代の感傷に浸っているせいなのか、まだ食べる事ができない。テーブルの上に置かれたままの早生みかんは、少し皮が萎びて黄色く色づき始めている。
そろそろ、食べてみようか
テーブルの上の早生みかんを眺めて、そんな事を思った。
今日も最後まで読んで下さってありがとうございます♪