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昭和の時代、私はプロレスが好きだった


先日、アントニオ猪木さんがお亡くなりになった。
猪木さんの訃報を知らせるニュースでは、若き日の猪木さんの勇姿を映す映像がたくさん流れた。今の私は昔ほどはテレビっ子ではないので、用事をしながらチラチラと眺める程度だったけど、それでもかつてプロレスをよく見ていた頃を思い出していた。

実は、この記事はタイトルだけ1年半以上も下書きに入っていた。いつか書こうと思いながら書けずにいたけど、今なら書けそうな気がする。いつもの様に構想を練らずに書くので、着地がどうなるか予想もできないけどがんばって書いてみようと思う。




一番最初のプロレスの記憶は、女子プロレスだ。
それは、プロレスのシーンというよりも歌の記憶だったりする。リングの上で歌う若いペア。それは、ジャッキー佐藤とマキ上田によるビューティペアが歌うかけめぐる青春だ。ビューティビューティビューティペア〜と歌いながら、ちょっとぎこちないフリをしていたのを覚えている。


あの頃、私はまだまだ小さな子供だった。子供でも分かりやすいメロディと歌詞で、あれからだいぶ時が過ぎたけど、今でも覚えている。
まだ子供だったので、試合の内容などは覚えていない。ただ、水着を着た女の人が暴れているという印象だった様に思う。それに、プロレスラーの皆さんの名前もマッハ文朱やデビル雅美やミミ萩原くらいしか出てこない。

それからは、しばらくプロレスとは遠ざかる。

けれど、うちの両親は格闘技が好きだったのかボクシングの試合はよく見ていた。具志堅用高の防衛戦はよく見ていた記憶がある。今はバラエティで活躍しているけど、彼は本当に強かった。テレビで見ていても、子供心に負ける気がしなかった。だから、連続防衛の記録が13で途切れた時は信じられなかった。負けるなんて考えられなかった。




しばらくプロレスとは遠ざかっていたものの、再びプロレスを見る様になったのは小学4~5年生くらいだった。その頃はプロレスがとても人気があり、金曜夜8時の新日本プロレスと時間や曜日はよく覚えていないし、ネットでも情報がよく掴めなかったのだけど、全日本プロレスの中継を見ていた。

この辺りの事は、マニアの方がおられるので詳しい事はそういう方の記事を読んで頂くとして。私は、自分の記憶にある事を子供の頃の気持ちで書いていこうと思う。

その頃、週に2回のプロレス中継はとても楽しみだった。
全日本はちょっと地味な印象だったが、新日本の方は華やかな印象があった。猪木を頭に藤波辰爾や坂口征二などと悪役や外国人選手との試合があり、それに花を添えるのが古舘伊知郎の実況だった。

古舘伊知郎の実況は、まさにマシンガントークで次々と言葉が出てきて感心する事しきりだった。

弟が持っていたプロレス大百科(3冊くらいはあった模様)をじっくりと読み込み、たくさんの選手や技の事を知った。


他にも、父がプロレス新聞(東スポから週一で発行)を買ってきたのを読んだり、弟が持っていたプロレススーパースター列伝(原作はあの梶原一騎)を何回も読んだりしていた。


そして、中学生になると私は、お小遣いでプロレス雑誌を買ったりもした。ただ、それは長くは続かなかった。なぜなら、中2になるとKKコンビを中心とした高校野球の方に興味が向いて、甲子園の星報知高校野球を買うようになったからだ。
それでも、プロレス中継はやっぱり見ていた訳だけど。

書いていて、本当に懐かしくなってくる。
スタンハンセン、ハルクホーガン、ブルーザーブロディ、アンドレ・ザ・ジャイアント、ブラックタイガー、ブッチャー、ダイナマイト・キッドなどなどたくさん出てくる。


👆 あ、あれ?なんか違うのが混じってる???ふ、ふぁん、ファンクス💦

なかでも、私は初代タイガーマスクが好きだった。
身軽な身のこなしや空中戦に目を見張った。おまけに、アニメから飛び出してきたようないでたちにすっかり夢中になった。

上に出した、プロレススーパースター列伝にもタイガーマスクの話は有り、真実か否か分からない本当だと信じきってストーリーを楽しんだ。
巷では、中の人が誰であるかいろいろ言われていたけど、まだ純粋だった私にはそんな事はどうでも良かった。


しかし、強くて人気絶頂だったタイガーマスクは突然引退してしまう。

え、なんで??と思っていたところ、なんとタイガーマスクこと佐山サトルはこんな番組に登場した。


それは、私が中2の時。中2病を発症していた暗黒の年だ。
いつもの様に欽どこ(欽ちゃんのどこまでやるの)を見ていると、タイガーマスクがやって来たのだ。そして、そこでマスクを脱ぐ始末。さらに、欽どこファミリー(この動画には高部知子はもういなかった)と語り合い、見栄晴に技を掛けるなどわちゃわちゃしていた。

私は、たしか宿題をしながら見ていたと思うが、その光景にビックリしたなんてものではなかった。
あのタイガーの素顔がこの人?
やっぱり、噂通りの佐山サトルだったのか・・・。
という思いが駆け巡った。



その後は、なぜかあまりプロレスも見なくなり、今度は女子プロレスの方にシフトしていく。

女子プロレスは中3の頃位から数年間は私の周りでもとても人気があり、みんな見ていた。翌日、学校で「昨日の試合さー」などとおしゃべりするのは楽しかった。

その頃は、長与千種、ライオネス飛鳥のクラッシュギャルズやダンプ松本、ブル中野の極悪同盟が看板だった。
そして、やっぱりクラッシュギャルズも歌を歌った。この炎の聖書バイブルはとても好きだった。友達も好きで、休み時間とか歌っていた思い出がある。


女子プロレスのみなさんは、ドラマに出たりCMに出たり大人気だった。
毎度おさわがせします夏・体験物語では、いきなり出てきて俳優さん達と大乱闘を繰り広げていた。
また、たこ焼きラーメンのCMではダンプ松本が普通の顔で出てきていてビックリした。「たこ焼きがラーメンになったのよ♪」とか言っていて、とてもかわいらしい。





そんなこんなで、高校生の間はプロレスも見ていた気がする。もしかしたら、2年生になったらあまり見ていないような気もするけれど。それに、テレビ中継もゴールデンではやらなくなったように思う。
他にも、私自身の興味関心がおしゃれだったり、ドラマだったりなんだかんだで他のものに向いてしまったからというのもある。

そして、高校を卒業して1年後には昭和も終わってしまう。その頃は、もうプロレスを見る事はほぼ無かった。
私の目は外を向いていた。
家での時間よりも、外で過ごす時間が圧倒的に多くなっていったからというのもある。あのバブルの頃、私の興味関心も様々なものに向けられた。

だけど、子供時代の私はプロレスを見るのが好きだった。
プロレス好きのマニアの人にはかなわないけど、にわかファンなりに楽しく見ていた。

その時は、プロレスがエンタメである事も、様々な大人の事情がある事も、新日本の外国人選手が突然全日本に出ている事の謎も、プロレススーパースター列伝のストーリーが真実ではない事も、何も知らなかったけど。
今では、それでいいと思っている。
あの頃は、そんな事などお構いなしに、ただただ夢中になって見ていたのだから。


最後になるけれど、心よりアントニオ猪木さんのご冥福をお祈り申し上げます。天国で、ジャイアント馬場さんとおしゃべりしていたら、いいな。
子供の頃、私達をたくさん楽しませて下さってありがとうございました。


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