学級崩壊していた小学生の頃の話
こんにちは。みゅうと申します。
先日、Amazonプライムビデオにて「浦安鉄筋家族」を観ました。
第4話のお話。
次男である小鉄のクラス担任である春巻先生が登場。春巻先生のクラスは授業はまったくやらず全部自習という、学級崩壊しているクラスに母親が突入する話です。
授業時間に勉強せず、立って走って遊び回るシーンを観て、
「あれ?これ見たことあるなあ」
と、不思議な既視感があり、よくよく考えてみると、
小学校6年生の時のクラスの惨状と一緒だったのです。
思い出したのと同時に、まとめようと思います。
1.クラスの様子
まず、どんなに酷かったと言うと、
「教室で堂々とマンガを読む」
「ゲームを持ち込んでいる」
「授業時間に立ち回りお喋り」
など、キリがないくらい。
さらに、広い教室であったため、後方に卓球台があり、いつでも卓球し放題でした、
「小学校なら教室に担任がいるんじゃないの?」
と、思われた方もいるでしょう。
担任(以下、S先生)は、自身の机でなんかしてました。
注意されたことが一度も無いのです。
顔を伏せて、なんかしていました。
子ども心に「この人なんでここに居るんだろう」
と、不思議に思ったのを覚えています。
当時通っていた小学校では、1年生〜6年生にかけて上級生が上の階の教室を使っていたのですが、最上階に居たにも関わらず、「1階まで騒いでる声が聞こえる」とクレームが来たことがありました。
それでも怒られたことがありません。怖いですね。
でもそこは小学生、「遊べてラッキー!」くらいの軽い気持ちでわいわいきゃっきゃしてました。
「浦安鉄筋家族」の小鉄くんと同じです。怖いですね。
しかし、どうしてこうなってしまったのでしょう。
………
………あれ、
原因、私じゃない??
2.元凶
時は遡り、小学校5年生の頃。
最初にマンガを持ち込んだのは、他ならぬ私でした。
当時私は「ひぐらしのなく頃に」というマンガを崇拝しており(今も愛している)、マンガを布教し、アニメを推奨し、youを教室で弾き語りしまくる生活を送っていました(やばい)。
その頃目立つグループにいた私は、わりと影響力があったみたいで、
私と一緒のクラスの人は全員ひぐらしを認知していました。ヲタク怖いですね。
そんな中、当時の担任の先生(以下、M先生)は、
「なんでこんな流行ってるんだ??」
と、不思議がるようになります。
そして、なんと私に、
マンガを貸してくれと頼んできたのです。
M先生の言う通り、翌日から数巻学校に持ち込んで貸す生活が始まりました。
憶測ですが、ひぐらしはスプラッター表現が非常に多かったので、なぜ流行っているのか、興味と心配で状況を理解しようと「貸してほしい」と頼まれたのだと思います。
しかし、そこは小学生。
「みゅうがマンガを持ち込んでいる」
という状況が出来上がってしまったのです。
じゃあ、ということで生徒同士でも貸し借りが始まりました。
「先生が借りている」という状況が良くなかったみたいです。その事はM先生も承知の上だったので、特に気にはしていなかったし、授業もしっかり受けていたので問題にはなりませんでした。
M先生は音楽が好きで、教室にアコギがあったので暇さえあれば弾き語りをしていたり、休み時間は生徒の好きなCDをかけていい時間でもありました。
そのような比較的自由で楽しい生活を1年続け、進級した後も行われた際、S先生がまとめきれなくなり、徐々に崩壊していくきっかけになってしまったのです。
3.校長室謝罪事件
卒業するまであとわずかという時、
「授業が遅れまくってて卒業まで間に合わない」事が発覚しました。
それはそうです。勉強してないもん。
唯一、社会はM先生が授業をきっちり行っていたため、それ以外の科目の期限が真っ赤っかでした。やばい。
これに焦ったのか、それから怒涛の授業の連続で何とか持ち直したものの、クラスの惨状は変わりません。
いつしか学校の問題クラスとして有名になった頃、あまりにも酷すぎたため「6年生だけ集団下校させるぞ」と、校長から直々にお達しがありました。
1回ではありません。卒業まで毎日です。
確か、下校中の買い食いなども原因に含まれていたと思います。
自由に帰れなくなるし、何より下級生に見られるのが恥ずかしすぎる。
反省したクラス一同は、謝罪するべく、総勢約40名で校長室に出向き、泣きながら頭を下げる事態に発展してしまったのです。
校長先生のムスッと顔は今でも覚えてます。ごめんなさい。
こうして、問題クラスは終焉を迎えたのでした。
4.同窓会にて再会
高校1年生の頃、6年生だけの同窓会がありました。
卒業して4年ほどしか経っていませんでしたが、中学や高校で離れた友達と懐かしみながら仲良くもんじゃを食べている時、S先生がやって来ました。
S先生は私たちが卒業したすぐ、違う小学校に飛ばされ…いえ、赴任していました。
ただ、話していて不思議でした。
「楽しいクラスだったねえ!」と声高らかに言っていたのです。
いやいや、めちゃくちゃ学級崩壊してたじゃあん??
とはならず、やはり「楽しかった」で終わってしまったのです。
今でも「なぜ授業をしなかったのか」「何も言わなかったのは何故か」という疑問は残ったままです。
でも、成人式の同窓会で元気にビデオレターを送ってきたりしていたので、元気なんだと思います。
やはり、この先生あって、このクラスだったなと思ったのでした。
5.まとめ
まさか、ギャグ満載の「浦安鉄筋家族」で思い出すとは思わなかったのですが、崩壊していたけど楽しくやっていたのは本当なので、小学生の無邪気さは怖いなあ、と改めて感じる思い出でした。
引き金はきっと私です。
その事は申し訳ないなと思います。
自分に子どもができたら、せめて校則を守るよう全力で子育てするつもりです。
拙い文章でしたが、読んでいただきありがとうございました。
ではまた、どこかで。